MMT・通貨制度

アルゼンチンの「自国通貨建てデフォルト」はMMT批判の反例になるのか(後編:MMTの成立条件から読む)

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前編のふりかえりと、この記事の問い

前編では、アルゼンチンで実際に起きたことを事実から整理しました。

そこで分かったのは、アルゼンチンのセレクティブ・デフォルトは「ペソを刷れずに行き詰まった」話ではなく、「苦しい状況でのペソ建て債務の組み替えを、格付け会社S&Pがデフォルト相当と判定した」話だ、ということでした。格付け会社が見ている信用の話と、MMT(現代貨幣理論)が見ている支払い能力の話は、そもそも階層が違います。

しかし、ここで踏みとどまる必要があります。「階層が違う」だけでは、まだ十分な答えではないからです。反論する人はこう返してくるでしょう。「それでも現に、自国通貨建ての債務が苦境に陥ったじゃないか。MMTが正しいなら、そんなことは起きないはずでは?」と。

この問いに答えるには、MMTが本当は何を主張しているのかを、正確に押さえる必要があります。そして、その主張が成り立つには条件があること、アルゼンチンはその条件を満たしていないことを示さなければなりません。後編で扱うのは、まさにここです。

MMTは「デフォルトしない」で何を言っているのか

まず、いちばん誤解される点から始めます。「自国通貨建てならデフォルトしない」という言い方は、MMTの主張の入口としては便利ですが、そのままでは雑すぎます。

MMTが否定しているのは、次の考え方です。

自国通貨を発行できる政府も、家計と同じように、まず税や借金でお金を集めないと支出できず、集められなくなれば支払い不能になる。

この「家計簿のような財源制約」を、MMTは否定します。自国通貨を発行できる政府は、自国通貨建ての支払いについて、家計や企業のように「お金が尽きて払えない」状態に強制されるわけではない。ここまで、つまり名目上の支払い能力そのものについては、実は主流派の経済学の教科書でも、厳密にはそれほど否定しません。

問題は、ここから先です。「では、いくらでも支出してよいのか」というと、MMTはまったくそう言っていません。むしろMMTがいちばん強調するのは、制約は別の形で必ず現れる、ということです。

MMTが否定していない制約を挙げます。

  • インフレの制約
  • 実物資源、つまり供給能力の制約
  • 為替の制約
  • 外貨建て債務の制約
  • 制度設計上の制約
  • 政治判断の制約

つまりMMTの主張は、正確にはこう言い換えられます。※1

十分な通貨主権を持つ政府は、自国通貨建ての名目支払いについて、家計や企業と同じ意味で支払い不能に強制されるわけではない。ただし制約は消えない。それは実物資源、インフレ、為替、外貨、制度、政治判断として現れる。

本当の制約は「お金」ではなく「供給能力」

ここで、MMTの核心でありながら、短い言葉では伝わりにくい部分を、段階を追って説明します。

第一段階。政府は自国通貨を発行できます。だから、ペソ建ての借金を名目上返すこと自体は、技術的には可能です。「刷って返す」ことはできる。ここまでは反論する人も同意するでしょう。

第二段階。しかし、返すために刷ったお金は、消えてなくなるわけではありません。誰かの手に渡り、使われます。問題は、そのお金で人々が何を買おうとするか、です。

第三段階。もし人々が、そのお金で財やサービスを買おうとし、その量が国内で作れる財やサービスの量、つまり供給能力を超えたら、何が起きるか。物価が上がります。これがインフレです。お金はいくらでも刷れても、米や電力や労働は、刷った分だけ増えるわけではないからです。

第四段階。だからMMTにとっての本当の制約は、「お金が足りるかどうか」ではなく、「実物の供給能力が足りるかどうか」なのです。財源ではなく、供給能力。これがMMTの中心にある制約です。

この順番を踏まないと、多くの人は「デフォルトしない」という表面の言葉だけを受け取り、「じゃあ無限に支出できるのか」「そんなわけない」で話を終えてしまいます。本当に言いたいのは、制約の場所が財源から供給能力に移る、ということなのです。

ただし、この「供給能力が本当の制約」という話には、射程があります。それは、刷ったお金が国内の財やサービスに向かう、いわば閉じた経済を思い浮かべたときの話です。お金が国内で使われる限り、制約はインフレ、つまり国内の供給能力の限界として現れます。

ところが、外に開いた経済では、同じ供給能力の制約が、別の形で前倒しに現れます。刷ったお金が国内の財ではなく、外貨や輸入品に向かって流れ出すと、制約は「国内の供給能力」ではなく「外貨の制約」という顔をして、先に立ちはだかるのです。供給能力の制約と外貨の制約は、対立するものではありません。同じ実物の制約が、経済の開き方によって違う現れ方をしているだけです。そして、この後者がまさに、アルゼンチンの弱点につながります。

「自国通貨建てなら追い込まれない」が成り立つ条件

以上を踏まえると、この命題は二つの層に分けて考える必要があります。ここを混ぜると、MMTが言っている以上に話が条件つきに見えてしまいます。

一つ目の層は、「名目の支払いに追い込まれないための条件」です。ペソを刷って決済すること自体が、制度として妨げられていないか、という層です。

  • (A-1)債務が自国通貨建てであること。
  • (A-2)その通貨を、政府・中央銀行が制度として発行・決済できること。
  • (A-3)固定相場や、外貨との交換義務、強い外貨準備の制約によって、通貨の発行が実質的に縛られていないこと。

この層さえ満たされていれば、政府は名目上、自国通貨建ての支払いに「お金が尽きて」追い込まれることはありません。MMTの中核命題が指しているのは、主にこの層です。

二つ目の層は、「その名目の支払いを、インフレや為替の崩壊、実質的な債務の組み替えに追い込まれずに続けられるための条件」です。刷れるかどうかではなく、刷った結果が持続するかどうか、の層です。

  • (B-1)支出が供給能力を超えてインフレを起こし続ける状態ではないこと。
  • (B-2)発行された自国通貨を、民間がある程度の期間、資産として持ち続けてくれること。

ここが肝心です。MMTは、名目の支払い能力(一つ目の層)を、民間の需要が続くかどうか(二つ目の層)に依存させてはいません。名目では刷って払える。ただし二つ目の層が崩れると、支払い自体はできても、インフレや為替の下落、債務の組み替えといった別の形で制約が噴き出す——これがMMTの見立てです。

そして、これらの条件は「自国通貨建てかどうか」という一点だけでは決まりません。とくにA-3の為替制度と、B-2の自国通貨資産への需要は、その国の制度や歴史によって、外から観察できる形で強かったり弱かったりします。「自国通貨建てなら安全」というスローガンは、これらの条件がそろった国を暗黙の前提にしているのです。だから、条件を欠いた国を持ち出して「ほら破綻した」と言っても、それはMMTへの反論にはなりません。

アルゼンチンは、どの条件を欠いているのか

では、アルゼンチンを条件に当てはめてみます。結論から言えば、アルゼンチンが欠いているのは、一つ目の層のA-3(為替制度)と、二つ目の層のB-2(自国通貨資産への需要)です。名目でペソを刷れない(A-1・A-2)という問題ではありません。

以下では三つを順に見ます。まずA-3、つまり為替制度が自由変動になっていないこと。次に、その為替制度を自由にできない根っこにある外貨の制約。そして最後に、B-2、つまり自国通貨資産への需要の弱さです。はじめの二つは表裏の関係にあり、最後の一つはそれと根を同じくしながらも、別立ての条件になります。

為替制度が自由な変動相場ではない

アルゼンチンの為替制度は、近年、完全な自由変動相場ではありません。管理された相場や、少しずつ調整する為替運用、外貨や資本の移動に対する規制が続いてきました。2025年には規制をゆるめ、より柔軟な制度へ移りましたが、それでも一定の幅の中での変動にとどまると説明されています。※2

為替を一定の範囲に保とうとすると、政府や中央銀行は外貨を使って為替を支えなければならない場面が出てきます。すると、自国通貨をいくらでも自由に発行するという建て付けが、外貨の制約によって縛られます。これがA-3を欠いた状態です。通貨主権の強さが、そのぶん下がるのです。

ペソは刷れても、ドルは刷れない

では、なぜアルゼンチンは為替を自由に変動させられないのか。その根っこにあるのが、外貨の制約です。これがアルゼンチンの弱点の中心でもあります。

アルゼンチンは、輸入や、外貨建ての借金や、資本の海外流出をかかえています。政府は自国通貨であるペソは発行できますが、ドルは発行できません。※3

ここで、前編と後編をつなぐ肝心の論理が出てきます。外貨準備が乏しい国で、ペソ建ての債務を大量に名目償還したとします。そのペソが、国内の財ではなく、ドルや輸入品を買う方向に向かったらどうなるか。ここは為替制度しだいで現れ方が変わります。為替の変動を許せば、ペソ安が進み、輸入物価が上がってインフレになります。逆に為替を一定に保とうとすれば、政府や中央銀行が外貨を売って支えるので、外貨準備が減ります。どちらに転んでも、ペソを刷れることが、そのまま「外貨の制約」として跳ね返ってくるのです。

さきほど「刷ったお金が国内の供給能力の問題として現れるなら」と条件をつけたのは、このためです。アルゼンチンでは、刷ったペソが国内供給の問題にとどまらず、外貨への需要としてあふれ出しやすい。だから、ペソを発行する能力があっても、それが素直に「支払い能力」につながらないのです。

ペソ建ての長期資産を、人々が持ちたがらない

三つ目は、二つ目の層のB-2です。いま見た「ペソが外貨へ逃げやすい」という話と根は同じですが、条件としては別立てになります。発行されたペソを、人々が資産として持ち続けてくれるか、という条件です。ここで「通貨への信認」という言葉を使いたくなりますが、その言葉はあいまいなので、具体的に言い換えます。「信認」が何を意味するのかは、別記事「「円の信認」とは何を意味するのか」でも分解しています。

問題は、ペソを発行できるかではなく、発行されたペソを、民間がどんな形で、どのくらいの期間、どんな条件で持つか、です。

アルゼンチンでは、高いインフレの歴史を背景に、人々はペソ建てで低い利回りの長期国債を持ちたがりにくいと指摘されます。短い期間の債券や、インフレに連動する債券、ドルに連動する債券が好まれやすく、余ったペソは外貨や実物資産、輸入品へと向かいやすい。

その結果として、国債の満期は短くなりがちで、政府は頻繁に借り換えを迫られます。前編で見た「反復的な債務交換」の背景にも、こうした構造があると考えられます。長期のペソ建て債務を安定して抱えてくれる買い手が薄ければ、償還のたびに条件を組み替えるしかなくなるからです。

「生産能力が低いから」では、やや粗い

ときどき、「アルゼンチンは生産能力が低いからデフォルトした」という説明を見かけます。しかし、これは粗すぎます。アルゼンチンは農業、エネルギー、鉱業などで、相当の供給・輸出能力を持っています。

より正確に言えば、こうなります。アルゼンチンの問題は、単純に物を作れないことではありません。長く続いた高インフレの記憶から、人々がペソ建ての長期資産を安心して持てず、余ったお金がドルや輸入品、海外へ逃げやすい。その結果、輸出で外貨を稼ぐ力と、輸入や資本流出で出ていく外貨とのバランスが崩れやすい。ここに問題の中心があります。

この言い方なら、前半で見た「本当の制約は供給能力」という話と、きちんとつながります。アルゼンチンでつまずいているのは、物理的な生産力そのものというより、自国通貨を長期の資産として社会に保有させる仕組みのほうなのです。

「アルゼンチンがダメなら、日本も同じでは」への答え

ここまで来ると、次の反論が予想できます。「アルゼンチンがそうなら、日本だって同じように危ないのでは?」

しかし、日本とアルゼンチンは、いま見てきた条件の満たし方が大きく違います。簡単に対比します。

論点 アルゼンチン 日本
債務の通貨建て 外貨制約・ドル化圧力が強い 国債の大部分が円建て
為替制度 管理相場・外貨規制・バンド制の履歴 変動相場制
自国通貨資産への需要 ペソ建て長期資産の需要が弱い 円建て預金・国債・保険・年金の蓄積が厚い
対外的な立場 外貨制約がたびたび問題化 世界有数の対外純資産国

この対比は、「日本は絶対に安全だ」と言うためのものではありません。日本にも、供給能力やインフレという本当の制約はあります。この点は「日本政府は本当に財政破綻するのか」で扱っています。

言いたいのは、もっと限定的なことです。「自国通貨建て」という一つの条件だけを切り出して、アルゼンチンと日本を同じ箱に入れる議論が雑だ、ということです。通貨主権の強さは、為替制度や外貨制約や自国通貨資産への需要まで含めて見なければ判断できません。

まとめ

MMTが「自国通貨建てならデフォルトに追い込まれない」と言うとき、そこには条件があります。自国通貨建てであること、その通貨を発行できること、為替制度や外貨準備に縛られていないこと、供給能力を超え続けていないこと、そして自国通貨を人々が資産として持ち続けてくれること。

アルゼンチンは、このうち為替制度と、自国通貨資産への需要という条件を大きく欠いています。だから、アルゼンチンの自国通貨建てのセレクティブ・デフォルトは、MMTの反例ではありません。むしろ、通貨主権が外部の制約によって弱められた国で何が起きるかを示す事例です。

もっとも、これはMMTの側にも注文を返します。「自国通貨建てならデフォルトしない」という言い方を、条件を示さずに投げれば、アルゼンチンのような事例を突きつけられて言葉に詰まります。正しくは、条件つきで語るべきなのです。

十分な通貨主権を持つ政府は、自国通貨建ての名目債務について、家計や企業のような意味で支払い不能に強制されるわけではない。だが、実物資源、インフレ、為替制度、外貨建て債務、制度設計、政治判断によって、自国通貨建ての債務であっても、債務の組み替えや格付け上のデフォルト扱いは起こり得る。

前編と後編を通して見れば、「アルゼンチンは自国通貨建てでもデフォルトした。だからMMTは間違い」という反論は、格付けの概念と通貨主権の議論を混同し、さらにMMTの成立条件を見落とした、二重に雑な主張だと分かります。

参考

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