量的緩和とは何だったのか:お金を刷っても銀行貸出は増えない理由
概要
量的緩和は、しばしば「日銀がお金を刷ってばらまいた政策」と語られます。しかし、これは実態とずれています。量的緩和は、中央銀行が国債などを大量に買い、その代金として銀行に準備預金(日銀当座預金)を供給する政策です。銀行の資産が国債から準備へ置き換わるだけで、家計や企業が使うお金が直接配られるわけではありません。
そして本記事の芯になる点を先に言います。量的緩和それ自体では、市場の銀行貸出は増えません。準備をいくら積み増しても、それが自動的に貸出や預金通貨に変わるわけではないからです。ではまったく無意味かというと、そうでもありません。量的緩和は別の経路でいくつかの事象を引き起こします。本記事では、その「増えないもの」と「実際に起きること」を分けて整理し、最後に、問題は量的緩和という道具ではなく、それに背負わせた目標のほうにある、という見方を示します。
なお本記事は、信用創造(前編 / 後編)の続きにあたります。「銀行が貸すと預金が生まれる」「準備が増えても貸出は自動では増えない」を前提に話を進めますが、未読でも読めるよう、要点はその都度補います。
「お金を刷った政策」というイメージから始める
量的緩和という言葉には、強いイメージがつきまといます。「中央銀行が大量にお金を刷った」「だから、いずれ物価が急騰する」「あるいは、刷ったお金で景気がよくなるはずだ」。こうした語り口を、ニュースや解説で聞いたことがあると思います。
このイメージは、いったん受け止めるところから始めます。中央銀行が量的緩和で大きな金額を動かしたのは事実だからです。問題は、その「動かしたお金」が、誰のどんなお金で、どこに置かれたのか、という中身です。ここを取り違えると、量的緩和の評価がまるごとずれてしまいます。
まずは、量的緩和が実際に何をした政策なのかを、お金の置き場所に注目して見ていきます。
量的緩和は実際には何をしたのか
量的緩和の中心にあるのは、中央銀行による国債などの買い入れです。日本銀行が市場から国債を大量に買い、その代金を、国債を売った銀行の日銀当座預金に振り込みます。
ここで、銀行のバランスシート(持っている資産と負債の一覧)に起きることはシンプルです。それまで銀行が資産として持っていた国債が減り、代わりに日銀当座預金(準備)が増えます。資産の中身が、国債から準備へ入れ替わるのです。銀行全体の資産の大きさが、これで急に膨らむわけではありません。
なお、この「銀行が日本銀行に預けているお金」を、本記事ではまとめて「準備」と呼びます。厳密には、制度上いくら積みなさいと決められている部分だけを「準備預金」と呼び、量的緩和で大きく膨らむのは、その必要額を超えて積み上がった部分です。ただ、細かい区別は本筋ではないので、ここでは「準備=銀行が日本銀行に持っているお金」とだけ押さえておけば十分です。
ここで、二種類の「お金」を区別しておくと、話がはっきりします。
- マネタリーベース:中央銀行が供給するお金。現金と、銀行が日銀に持つ当座預金(準備)の合計です。
- マネーストック:家計や企業が持ち、日常で使うお金。銀行預金や現金がこれにあたります。
量的緩和で大きく増えるのは、前者のマネタリーベース、とりわけ準備の部分です。一方、私たちが買い物や支払いに使うお金、つまりマネーストックは、量的緩和をすれば自動的に同じだけ増える、というものではありません。準備は、家計や企業の口座に直接入るお金ではないからです。準備は、銀行どうしの決済に使われる「銀行のための口座」のお金であって、私たちの財布とは別のレイヤーにあります。
一点だけ補足します。日本銀行が国債を、銀行からではなく、生命保険会社や年金、家計といった「銀行以外」から買う場合は、その売り手の銀行預金が増えるため、マネーストックも買った分だけ増えます。ただしこれは、手持ちの国債が預金に一回だけ置き換わっただけであって、銀行が貸出を通じてお金を継続的に生み出す信用創造とは別物です。量的緩和そのものが銀行貸出を増やすわけではない、という本記事の芯は、この場合でも変わりません。
つまり量的緩和は、「世の中に出回るお金を直接配る」政策ではなく、「銀行が持つ資産の構成を、国債から準備へ入れ替える」政策だと言えます。
なぜ準備を増やしても銀行貸出は増えないのか
ここが本記事のいちばん大事なところです。準備をいくら増やしても、それだけでは市場の銀行貸出は増えません。理由は、信用創造の仕組みにあります。
信用創造の記事で見たことを、一段だけ振り返ります。銀行は、手元の準備を元手にして、その範囲で貸しているのではありません。逆に、銀行が「この相手なら返せる」「採算が合う」と判断して貸した瞬間に、新しい預金が生まれます。準備は、貸すための事前の元手ではなく、貸した後に決済が必要になったときに用意されるものでした。
この順番が分かると、量的緩和に寄せられがちな期待がなぜ外れるのかが見えてきます。
素朴なイメージでは、こう考えがちです。「銀行に準備をたっぷり配れば、銀行はそれを元手にどんどん貸せるようになり、世の中のお金が増えるはずだ」。これは、準備が貸出の元手だという前提に立っています。
しかし、貸出を決めているのは準備の量ではありません。お金を借りたい人や企業がいるか(資金需要)、そして銀行がその相手に貸して返ってくると判断できるか(信用判断と採算)です。準備がいくら潤沢でも、借りたい人がいなければ、あるいは貸して採算が合う相手がいなければ、貸出は増えません。準備は貸出の蛇口ではないのです。
だとすれば、準備を大きく積み増しても、借りたい人と、貸して採算の合う相手が増えなければ、貸出やマネーストックはそれほど伸びないはずです。これは量的緩和の「失敗」という話ではなく、「準備を増やせば貸出が増える」という前提のほうが、もともと銀行の動き方と合っていなかった、ということだと考えられます。
なお、貸出が預金を生むという見方は、「銀行は預金を集めて、それを別の人に又貸ししている」という素朴なイメージとは逆になります。逆ではあるのですが、けっして異端の説ではありません。信用創造の前編・後編で見たとおりの仕組みであり、イギリスの中央銀行であるイングランド銀行も、現代の経済では銀行貸出によって預金が作られると、明確に解説しています※1。
では量的緩和は何を引き起こすのか
「銀行貸出は増えない」と言うと、「では量的緩和には何の効果もないのか」と思うかもしれません。そうではありません。量的緩和は、貸出を増やすのとは別の経路で、いくつかの事象を引き起こします。ここは分けて説明する必要があります。
- 長期金利の低下:中央銀行が国債を大量に買う大口の買い手として現れると、国債の価格が支えられ、長期金利が下がりやすくなります。なお日本では、買い入れの「量」を増やすこととは別に、長期金利の水準そのものを目標に据えて動かす「イールドカーブ・コントロール」という枠組みがとられたこともあります。これは量を増やす量的緩和とは設計が異なり、金利を直接の操作目標に置いた点に特徴があります。量を増やす話と、金利を操作する話は、いったん分けて考えると整理しやすくなります。
- 資産の置き換えによる影響:銀行や投資家が持っていた国債が準備や現金に替わると、その資金が株式や不動産など、ほかの資産へ向かいやすくなります。これは「ポートフォリオ・リバランス」と呼ばれる経路です。資産価格を押し上げる方向に働くことがあります。
- 期待や為替への影響:「中央銀行が金融を緩め続ける」という見通しが広がることで、企業や市場の予想、さらには為替相場に影響することがあります。
大事なのは、これらはどれも「家計や企業向けの銀行貸出が増えた」という話とは別の経路だ、という点です。量的緩和が動かしやすいのは、主に金利や資産価格といった金融市場の側であって、実体経済でお金を借りて使う量そのものではありません。効果が及ぶ範囲は、イメージされるよりも限定的だと考えたほうがよいのです。
「お金を刷ればインフレ」と単純に言えない理由
量的緩和をめぐる代表的な誤解が、「お金を刷ればインフレになる」という図式です。ここまでの話で、この図式がなぜ単純すぎるのかが見えてきます。
量的緩和で増えるのは、主に準備、つまりマネタリーベースでした。これは銀行どうしの世界のお金であって、家計や企業が使うお金が直接増えるわけではありません。そして物価は、世の中の「お金の量」だけで決まるのではなく、誰かが実際にお金を使って需要を生むかどうか(有効需要)と、それに対して供給が追いつくかどうかで動きます。準備が積み上がっても、それが支出となって需要を押し上げないかぎり、物価を動かす力にはなりにくいのです。
物価とお金の関係をもう少し丁寧に見たい方は、別記事「MMTはインフレを軽視しているのか」もあわせて読んでみてください。インフレを決めるのが「お金の量」だけではない、という点を整理しています。
道具は悪くない、問題は背負わせた目標
ここまでをまとめると、量的緩和は、銀行貸出を直接増やす政策ではなく、主に金利や資産価格に働きかける政策でした。では、量的緩和は「悪い政策」だったのでしょうか。
筆者は、量的緩和という道具それ自体が悪いとは考えていません。長期金利を低く抑える、そして株式や不動産といった資産にお金を向かわせ、その価格を支える――こうした具体的な働きはたしかにあります。逆に言えば、量的緩和が効きやすいのは、実体経済そのものよりも、こうした金融市場(金融経済)の側だ、ということでもあります。問題があるとすれば、それは道具のほうではなく、量的緩和に背負わせた目標のほうにあります。
量的緩和をめぐっては、その看板として、量的緩和だけでは届きにくい目標が語られることがありました。たとえば、「準備(マネタリーベース)を大きく増やせば、それだけで物価上昇率の目標に届く」といった期待です。こうした期待をどこまで政策当局自身が抱いていたのかは、論者によって評価が分かれます。ただ、それとは別に、理屈の面で確かなことがひとつあります。ここまで見てきたとおり、準備を増やすこと自体は、銀行貸出も有効需要も自動的には生みません。だとすれば、量的緩和という道具だけで物価目標を達成しようとするのは、構造的にかなり難しい注文だったことになります。
ですから、量的緩和を評価するときに問うべきは、「量的緩和をやったこと」の是非ではなく、「量的緩和に何を期待し、何を達成目標として掲げたか」のほうだと考えます。道具と目標を切り分けると、「量的緩和は成功だったか失敗だったか」という大づかみな総括の手前で、もっと有効な問いに立てます。すなわち、その目標は本当に量的緩和で届く性質のものだったのか、届かないとすれば何が足りなかったのか、という問いです。
まとめ
量的緩和は、「お金を刷って配る政策」ではありませんでした。中央銀行が国債を買い、銀行の資産を国債から準備(日銀当座預金)へ入れ替える政策です。これで大きく増えるのは、銀行どうしの世界のお金である準備(マネタリーベース)であって、私たちが日常で使うお金(マネーストック)ではありません。
そして、準備をいくら増やしても、それだけでは市場の銀行貸出は増えません。貸出を決めているのは準備の量ではなく、借りたい人がいるか、銀行が貸して採算が合うと判断するか、だからです。これは信用創造の仕組みから素直に出てくる帰結でした。
ただし、量的緩和に効果がまったくないわけではありません。長期金利の低下、資産価格への影響、期待や為替への影響といった経路で、いくつかの事象を引き起こします。ただ、それらは「銀行貸出が増える」のとは別の経路であり、及ぶ範囲も限られます。
最後に立場をはっきりさせておきます。量的緩和という道具それ自体が悪いのではなく、量的緩和だけでは届かない目標を背負わせてしまったことのほうに、より大きな問題があったと筆者は考えています。お金の量を増やせば景気も物価も動く、という単純な図式から一歩離れること。それが、量的緩和を冷静に振り返るための出発点になります。

