公共投資を減らす必要はあったのか――財政より先に壊れた供給能力

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「公共投資はまた増え始めたから、もう心配いらない」。最近の予算の数字を見て、そう受け取った人は多いと思います。実際、金額だけを見れば投資は底を打って戻りつつあります。ですが、金額が戻れば失ったものも戻る、というわけではありません。問われるべきは、減らした金額そのものではありません。大きく減らした水準を20年以上続けた結果、道路や橋を作り続けるための技術者と供給能力がどれだけ細ったのか、のほうです。

減ったのは金額か、続いた年月か

まず、名目額が戻っているのは本当です。国民経済計算でみた公的固定資本形成は、2011年の約24.3兆円を底に、2024年には約31.5兆円まで戻っています※1。この一点だけを取り出せば、「もう削減は終わった」と言いたくなります。

ただ、この金額には建設資材や人件費の値上がりが含まれています。価格の変化を除いた実質で見ると、絵は一変します。実質の公的固定資本形成は、ピークの1996年に約49.2兆円ありました。2024年は約27.6兆円で、ピークの6割弱にすぎません。しかも、名目が増え続けた直近の4年間でも、実質は2020年の約30.7兆円から約27.6兆円へむしろ減っています。名目の回復は、施工量の回復ではありませんでした。

公的固定資本形成の名目・実質とGDP比の推移

そもそも、問われるべきは「今どちらへ動いているか」ではありません。日本の公共投資は1990年代後半から大きく縮小し、その低い水準がその後およそ20年続きました。経済の規模と比べても、名目GDP比は1994年の8.8%から2024年の5.0%へとほぼ半減した水準のままです。1990年代のピークがすべて適正だったと言うつもりはありません。過大な事業も確かにありました。それでも、いったん絞った総量を長期に据え置いたことと、直近で名目額が少し戻ったことは、別の話です。問題は、絞った低い水準が20年ものあいだ据え置かれたという、その時間の長さのほうにあります。

老朽化はどこまで進むのか

据え置いた20年のあいだに、作られたインフラは古くなり続けました。国土交通省の推計では、建設後50年以上となる施設の割合は、道路橋で2025年の約42%から2030年に約54%、2040年には約75%へと上がります※2。河川管理施設は約26%から41%、64%へ、港湾施設は約29%から40%、64%へと進みます。

数字が示しているのは、維持と更新の仕事がこれから急に増えるということです。高度成長期に一斉に造られた施設が、揃って更新期を迎えます。作ることをやめても、老いることは止まりません。むしろ、投資を絞っていた20年は、更新の必要が水面下で積み上がっていた期間でもありました。

蓄積の面から見ても同じことが起きています。過去の投資の累積である粗ストックに対し、経年の減耗を差し引いた純ストック(実質)は、2009年度の約649兆円を頭打ちに、2020年度には約639兆円へと減少に転じています※3。新しく作る分が、古びる分の穴埋めでほぼ消えているということです。投資を絞った20年は、社会資本の純増が止まった20年でもありました。

社会資本の粗ストックと純ストックの推移

要修繕の橋は直っているのか

建設後50年を過ぎたからといって、その橋がただちに危険になるわけではありません。年齢は、そのまま健全度ではないからです。

そこで実際の点検結果が手がかりになります。国土交通省は全国の橋梁やトンネルを5年に1回点検し、健全性を4段階で判定しています。早期または緊急の措置が必要と判定された橋梁のうち、約3割は2023年度末の時点でまだ修繕が完了していません※4。危ないと分かっている施設ですら、直す手が回りきっていないわけです。老朽化の危うさは、施設が古いことよりも、必要と分かった修繕をさばききれないところに出ています。

なぜタワーマンションは建ち、橋は架け替えられないのか

同じ建設でも、分野によって明暗が分かれました。都市部のタワーマンションのような民間建築は、需要が途切れなかったぶん、施工の技術も体制も維持され、むしろ積み上がってきました。高い建物を建てる技術は、この20年でむしろ発展しています。

一方で、道路・橋・トンネル・ダム・堤防といった公共インフラは、発注する政府が需要を絞りました。仕事が細れば、そこに人も設備も入ってきません。建設業の就業者は、建築と土木を合わせた全体で見ても、ピークの1997年に685万人いたのが、2024年には477万人と3割減り、この十数年は500万人弱で下げ止まったままです※5。これは建築を含んだ集計値ですが、その全体が縮むなかでも、需要そのものを政府に絞られたのは公共土木の側でした。もっとも、就業者の減少には民間の建設需要の波も重なっており、公共投資の削減だけが原因ではありません。ただ、若い入職者が細ったこと自体は、原因というより結果です。仕事が減れば、新しく人を採る枠も減ります。発注を絞られ、先行きの見えない業界に、若い人を迎え入れる余地はありませんでした※6

建設業就業者数の長期推移

採る枠が減った影響は、その年かぎりでは終わりません。技能は、現場を通してしか受け継がれません。入ってきた新人が一人前の職人や技術者になるには、長い年月がかかります。20年という月日は、本来なら新人がベテランに育つのに十分な時間でした。裏を返せば、投資を絞ったこの20年強のあいだに、若い担い手の入職と技能の継承が細り、いま現場が必要とするベテランが十分に育っていません。ベテランは、必要になってから急に用意できるものではないのです。

制約は財政赤字か、実物資源か

では、なぜ政府は需要を絞ったのか。理由として繰り返し持ち出されたのは、財政赤字と政府債務でした。国の借金が大きいのだから、公共事業は削らざるをえない、という筋書きです。

ですが、日本政府についてこの筋書きは成り立ちません。政府の債務が自国通貨建てであること、為替を固定で守る約束をしていないこと、外貨建ての債務に頼っていないこと。この三つの条件がそろう政府にとって、支出の限界は「お金が尽きる」ことではありません。真の制約は、名目の支払い能力ではなく、労働者・資材・設備・技術といった実物の資源と、それを使い切ったときに起きるインフレのほうにあります。この供給能力とインフレという歯止めの考え方は、別の記事で詳しく整理しています。

ここに転倒があります。公共投資を大きく絞っていた時期の日本は、物価が上がらず、需要が足りない状態が続いていました。人も資材も余っていた、つまり実物の制約がゆるかった時期です。制約がゆるく、増やしても問題が起きにくかった時期に投資を絞り、その20年で技術者と供給能力を細らせてしまいました。そして、更新の必要がいよいよ膨らんだいま、増やしたくても人と技術が足りず、増やしにくい状態を自分で作り出しています。削る理由がなかった時に削り、削ってはいけない実物の力を削ったわけです。

念のため付け加えると、これは「自国通貨建てだから公共投資はいくらでもできる」という話ではありません。人も資材も無限ではなく、使い切ればインフレという形で跳ね返ります。決めるべきは、実物の制約に合わせて、どれだけの規模で、何に投じるかです。

「ムダな公共事業」論は正しかったのか

削減を支持した側の言い分にも、強い部分があります。1990年代の公共事業には、需要の乏しい地域の道路や、採算の合わない施設など、費用に見合わない事業が確かに含まれていました。「鹿しか通らない道路」と揶揄された事業はその典型です。使う人の少ない事業より、便益の大きい事業に資源を回すべきだ。費用と便益を比べて配分を決めるという主流派経済学の考え方として、これは筋が通っています。個々の事業を精査して質を上げること、質の低い仕事をする事業者を選別すること、これはむしろ続けるべき仕事です。

ただ、その費用と便益の計算に何を入れるかで、答えは変わります。普段の交通量だけを見れば無駄に見える山間部の道路も、災害で幹線が遮断されたときには唯一の迂回路になります。それがなければ、集落は陸の孤島になります。河川の整備も、大雨のときに氾濫を防いで初めて価値が現れます。この種の便益は、平時の利用量を数える計算からは抜け落ちやすく、多くの人が重要性を思い出すのは災害が起きた後です。国土を災害に強くするという観点まで含めれば、「使われていないから無駄」とは言い切れません。

分岐点はもう一つあります。個別の事業の良し悪しを正すことと、投資の総量を長期にわたって絞り続けることは、別の問題です。仮に新設を選別するとしても、すでに作って社会が使い続けているインフラの維持と修繕は止められません。そして、発注の金額は政治判断で一気に増やせますが、技術者は一気に増えません。育てるのに時間がかかるからです。ムダな一本の道路を止めることと、道路を作り続ける技術者の層を薄くしてしまうことは、同じ「削減」という言葉でひとくくりにできません。

経世済民の視野に立てば、採るべき道ははっきりします。質の悪い事業や事業者は個別に正し、災害への備えまで含めた便益で事業を評価し、供給能力そのものは絞らない。事業の選別と総量の維持は、両立させるべきものでした。ムダ取りを、供給能力の解体まで押し広げたところに、この30年の政治の誤りがあります。

これから何を再建するのか

必要なのは、財政赤字を理由にした一律の削減でも、その反動としての一律のばらまき増額でもありません。老朽化した施設の維持と更新を優先し、単年度で切らずに複数年の投資計画で見通しを立て、人材の育成と技能の継承に時間をかけ、仕事の波を平準化して現場が続けられるようにする。求められるのは、供給能力そのものを立て直す長期の計画です。

供給能力は、失うのは早く、取り戻すのは遅い。20年かけて細らせたものは、20年かけて作り直すしかありません。日本には、インフラを作り続けてきた蓄積がありました。それを、返さなくてよい借金の数字を理由に、自分の手で壊してきたのがこの30年でした。名目額が戻ったいまこそ、金額の増減ではなく、誰がそれを作れるのかという実物の問いに答えを出すときだと思います。

参考

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