ギリシャ危機は日本財政破綻論の根拠になるのか

max999

ギリシャ危機は日本の将来予測ではない

前編では、ギリシャ危機を政府債務残高だけでは説明できない危機として整理しました。ユーロ圏という共通通貨制度のもとで、財政、金融、市場、域内の競争力格差、供給能力、政治の条件が折り重なって起きた危機だった、という見方です。

では、そのギリシャ危機は日本財政破綻論の根拠になるのでしょうか。

先に結論を言えば、ギリシャ危機をそのまま日本に当てはめることはできません。

たしかに日本の政府債務残高は大きく、それを否定するつもりはありません。ただ、債務残高が大きいことと、ギリシャ型の危機が起きることは、本来は別の話です。

ギリシャ危機は日本の将来を先取りした姿ではありませんし、日本がギリシャと同じ経路をたどって財政危機に陥る、と読むべきものでもありません。

ユーロはギリシャの通貨ではなかったのか

ここで、よく出てくる疑問があります。「ユーロはギリシャ国民が日々使っている通貨なのだから、ギリシャの自国通貨と言えるのではないか」というものです。

これは大事な疑問です。ここを丁寧に分けておかないと、ギリシャと日本の違いが見えなくなります。

たしかに、ギリシャの人々はユーロで暮らしています。賃金も預金も買い物も、税金も政府支出も、すべてユーロです。その意味では、ユーロはまぎれもなくギリシャ社会の通貨です。

しかし、ギリシャ政府が単独でユーロを発行できるわけではありません。ユーロはあくまでユーロ圏全体の共通通貨です。ギリシャの中央銀行であるBank of GreeceはEurosystemの一部であり、金融政策はギリシャ政府が単独で決めるものではなく、ECBとユーロ圏の制度の中で決まります。

そのため、ギリシャ国債は「ユーロ建て」ではあっても、日本政府の「円建て国債」と同じ意味を持つわけではありません。

とはいえ、「ユーロ建ては外貨建てと完全に同じだ」と言い切るのも正確ではありません。ギリシャ国民はユーロで生活し、ギリシャ政府もユーロで税を集め、ユーロで支出していたからです。

より正確に言えば、ギリシャ政府の債務は、自分では発行も保証もできない共通通貨建ての債務でした。この点が、日本と比べるうえで決定的になります。

日本の円建て国債とは何が違うのか

日本政府は、日本円という自国通貨建てで国債を発行しています。日本銀行は日本の中央銀行であり、国債市場や金融政策に深く関わっています。

もちろん、日本政府が日銀に何でも命令できるという意味ではありません。日銀には制度上の独立性があり、財政ファイナンスにも制約があります。現実の政府支出にも、予算、国会、国債発行、政府預金、民間銀行、日銀の決済といった一連の手続きが伴います。

それでも、日本の円建て国債は、あくまで日本の通貨制度の内側にあります。

一方のギリシャ政府は、ユーロを使う政府ではあっても、ユーロを単独で発行したり、中央銀行の対応を単独で決めたりできる政府ではありませんでした。ギリシャの財政危機は、市場だけでなく、ECB、ユーロ圏各国、欧州委員会、IMF、ESM、そして国内政治の判断に左右される危機だったのです。

この違いを無視して「ギリシャは破綻した。だから日本も危ない」と言ってしまうと、危機の経路そのものを取り違えます。

両者の違いを整理すると、次のようになります。なお、表の日本側にある「日銀、国内金融機関、財政・金融政策の運用」とは、日本国債市場が、政府の国債発行、民間金融機関の保有や売買、日銀の金融調節や国債買入れ、財政運営の判断といった要素の中で動いている、という意味です。

論点 ギリシャ 日本
使用通貨 ユーロ
政府の通貨発行能力 ギリシャ政府単独ではユーロを発行できない 政府単独で円を発行するわけではないが、円建て制度と日銀を含む国内制度の内側にある
中央銀行との関係 Bank of GreeceはEurosystemの一部 日本銀行は日本の中央銀行
国債の通貨建て 共通通貨ユーロ建て 主に円建て
最後の貸し手 ECB、ESM、支援条件、他国政治に左右される 日銀、国内金融機関、財政・金融政策の運用が中心になる
調整手段 ギリシャ単独の為替切り下げはできない 円相場は変動しうる
危機の形 借換困難、債務再編、外部支援、緊縮条件 名目デフォルトより物価、為替、供給、金利、政治が焦点

主流派経済学ではどう見るか

主流派経済学の枠組みでギリシャ危機を見るとき、入口の一つになるのが債務持続可能性です。

政府債務が膨らみ、経済成長が弱く、金利が上がると、債務残高対GDP比を安定させるのが難しくなります。プライマリーバランスを改善できなければ、利払いが債務をさらに膨らませます。国債市場がその国の財政運営を疑えば、国債金利は上がる。金利が上がれば、債務持続可能性はいっそう悪化する。こうした循環です。

この説明には、たしかに意味があります。財政赤字、金利、成長率、債務残高の関係は、危機を考えるうえで無視できません。

もっとも、主流派経済学の分析がすべて債務残高の式だけに閉じているわけではありません。ユーロ圏という通貨同盟の制度設計や、ECBの役割、支援条件、緊縮が需要や成長に与えた影響を重く見る分析もあります。

それでも、債務持続可能性の式だけを取り出して眺めると、ギリシャがユーロ加盟国だったという制度条件は見えにくくなります。

本当に問われるべきなのは、「債務残高対GDP比が高いか低いか」だけではありません。国債市場が不安定になったとき、どの中央銀行が、どの制度のもとで、どこまで市場を支えられるのか。政府が支払いに使う通貨を、どの仕組みで用意できるのか。重要なのはそこです。

この点を抜きにギリシャと日本の債務比率を並べても、日本でギリシャ型の危機が起きるかどうかは判断できません。

ですから、ここで問題にしたいのは主流派経済学そのものではなく、その説明から債務比率だけを取り出し、日本の債務比率と並べて結論を出してしまう読み方のほうです。

債務持続可能性の議論は、ギリシャ危機の財政面を説明するうえでは有用です。しかし、それをそのまま日本に持ち込むには、通貨制度と中央銀行制度の違いがあまりに大きいのです。

MMTではどう見るか

MMTの観点から見ると、ギリシャ危機の核心は、ギリシャ政府がユーロの発行者ではなく利用者にすぎなかった点にあります。

MMTは政府債務を考えるとき、その政府がどの通貨で支出し、課税し、国債を発行しているのかを重視します。自国通貨を発行できる制度の中にある政府と、自分では発行できない通貨を使う政府とでは、制約の性質がそもそも異なるからです。

ギリシャ政府はユーロを使ってはいましたが、それを単独で発行し、必要に応じて中央銀行に自国の国債市場を支えさせられる政府ではありませんでした。ユーロ圏の制度、市場、ECB、欧州委員会、IMF、ESM、他の加盟国の政治判断に依存していたのです。

この点で、ギリシャ政府は日本政府と決定的に違います。

日本政府の円建て国債について言えば、単純な名目上の支払い不能が起きる可能性は低いと考えられます。円建てで支払う制度の内側に、日本政府、日本銀行、民間銀行、国債市場、税制がそろっているからです。

ただし、これは「日本政府はいくらでも支出してよい」という話ではありません。MMTの観点でも制約は存在します。その制約が、家計のように「手元のお金が尽きる」という形ではなく、インフレ、供給能力、為替、輸入制約、資源配分、政治的な正統性として現れる、というだけのことです。

MMTの目で見ると、ギリシャ危機の問題は「借金が多すぎた」ことだけではありません。通貨主権を持たない政府が共通通貨建てで債務を抱え、市場と外部制度の条件に従わざるを得なかったこと——そこが核心になります。

MMT的な危機対応なら何を見るか

では、仮にMMT的な発想でギリシャを支援するとしたら、どんな条件を重視することになるのでしょうか。

ここは慎重に扱う必要があります。実際にMMTに基づくギリシャ支援が行われたわけではなく、「こうすれば必ず成功した」と言えるものではありません。以下も、実際に採られた政策の記述ではなく、MMT的な観点から危機対応を考えるなら何を重く見るか、という論点の整理です。

それでも、発想の違いはかなりはっきり出ます。

実際の支援プログラムでは、債務残高対GDP比やプライマリーバランスの改善が重要な条件になりました。これに対してMMT的な見方では、最初に目を向けるのは名目上の財政指標ではありません。失業、所得、国内需要、供給能力、輸入依存、外貨制約、銀行システム、公共サービスといった、経済の実体のほうです。

この立ち位置から見ると、支援条件として重視する点も変わってきます。

第一に、前倒しの緊縮ではなく、雇用と所得を守ることです。危機のさなかに政府支出を切れば、その分だけ民間の所得も消えます。支援資金は、債権者への返済を円滑にするためだけでなく、失業を抑え、公共サービスを維持し、国内需要の底が抜けるのを防ぐために使う——そういう発想になります。

第二に、債務再編を遅らせず、早い段階で負担を切り分けることです。返せる見込みの薄い債務を、追加融資と緊縮で先送りしない、ということです。民間債権者、銀行、公的債権者、ユーロ圏側のどこが、どれだけ損失をかぶるのかを、早めに決める必要があります。

もちろん、現実にはこれが非常に難しい。銀行に損失が出れば金融システム不安につながり、ユーロ圏側の公的資金に損失が出れば支援国の政治問題になります。だからこそ債務再編は先送りされやすいのですが、先送りしたところで負担が消えるわけではありません。返済不能に近い債務を抱えたまま緊縮だけを課せば、経済は縮み、社会的な痛みは膨らみます。結局、誰が損失を負うのかを曖昧にしたまま、債務者側にだけ緊縮を押しつける形になりがちです。

第三に、供給能力を壊さないことです。緊縮で失業が長引けば、労働者の技能、企業、地域経済、公共インフラが傷んでいきます。財政再建の数字を優先して供給能力を損なえば、将来の成長力まで削られます。支援条件として重視すべきは、単なる支出削減ではなく、医療、教育、インフラ、中小企業、雇用維持への投資です。

第四に、ユーロ圏全体の責任を問うことです。ギリシャ危機は、ギリシャ政府だけの問題ではありません。共通通貨のもとで為替調整の手段を封じ、域内の競争力格差を放置し、資本流入と債務拡大を許してきた、ユーロ圏全体の制度問題でもあります。だとすれば、支援条件もギリシャだけに痛みを押しつけるものではなく、ユーロ圏側の財政移転、投資、債務軽減、金融安定策まで含むべきだ、ということになります。

MMT的な見方の値打ちは、「ギリシャにも通貨発行権があればよかった」と言う点だけにあるのではありません。危機対応で本当に守るべきなのは、債務指標そのものではなく、雇用、所得、供給能力、公共サービス、社会の再生産能力なのだ——そう捉え直すところにあります。

日本のリスクはギリシャ型ではない

ここまで見てくると、ギリシャ危機を日本財政破綻論の根拠にするのは難しい、ということが分かります。

日本の政府債務残高は確かに大きい。しかし、日本政府の国債は主に円建てで、日本銀行は日本の中央銀行です。日本は、ユーロ圏の一加盟国として共通通貨を使っているわけではありません。

だとすれば、日本で問題になるのは、ギリシャ型の外部支援依存や債務再編ではありません。日本で見るべき制約は、単純な名目上の支払い不能というより、インフレ、供給能力、為替、輸入価格、金利政策、利払い費の分配、そして政治的な財政運営のほうです。

つまり、日本にリスクがないわけではなく、リスクの形が違う、ということです。

「ギリシャは破綻した。だから日本も危ない」という説明は、政府債務を語るうえで欠かせない論点を、まるごと飛ばしています。見るべきなのは、どの通貨で、どの制度のもとで、どんな制約に直面しているのか、です。

ギリシャ危機から日本が学ぶべきこと

ギリシャ危機は日本の将来予測ではなく、その意味では日本とは別の危機です。

ただ、財政危機を考えるうえでは、やはり重要な教材です。学ぶべきなのは「日本もギリシャになる」ということではなく、「政府債務は、通貨制度、中央銀行、供給能力、対外制約、政治条件と切り離しては論じられない」ということです。

仮にギリシャ危機を日本財政破綻論の根拠にしたいのなら、少なくとも次の違いを説明しなければなりません。ギリシャ政府はユーロを単独で発行できなかったが、日本政府の債務は主に円建てである。ギリシャはユーロ圏内で為替調整ができなかったが、日本円は変動相場である。ギリシャの支援はECB、欧州委員会、IMF、ESM、他の加盟国の政治条件に左右されたが、日本の円建て国債をめぐる問題は、まったく別の制度の中で起きる。

これらの違いを説明しないまま、ギリシャを持ち出して日本財政破綻論を語ることはできません。

問題は「借金が多いから破綻するのか」ではありません。どの通貨で、どの制度のもとで、どんな制約に直面しているのか。そこを見ないかぎり、財政破綻論は何度でも同じ場所で足踏みを続けることになります。

参考

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