ギリシャはなぜ財政破綻したのか:ユーロ圏と緊縮が深めた危機

max999

ギリシャ危機を借金だけで読まない

日本の財政破綻論では、しばしばギリシャが持ち出されます。

「ギリシャは破綻した。だから日本もいずれ同じようになる」という言い方です。

この話が直感的に響きやすいのは、ギリシャが実際に深刻な債務危機を経験したからです。外部支援を受け、債務再編を行い、厳しい緊縮政策と社会的苦痛も経験しました。多くの人がこれを「財政破綻」と呼ぶのは、自然な感覚だと思います。

だからこそ、入口は「ギリシャは破綻していない」と否定することではありません。見るべきなのは、ギリシャで起きた危機を「政府債務残高が大きかったから起きた」とだけ読んでよいのか、という点です。

問題は、どの制度条件のもとで、どの経路を通じて、危機が深まったのかです。

ギリシャ危機を見るには、ユーロ圏という共通通貨制度、域内の競争条件、供給能力、国債市場、ECB、外部支援、緊縮条件を合わせて見る必要があります。

この記事では、まずギリシャ危機そのものを整理します。日本との比較は後編で扱います。

何が起きたのか

ギリシャは2001年にユーロ圏へ参加しました。その後、2009年ごろから財政赤字と政府債務の大きさが問題になります。

危機は、市場心理だけで始まったわけではありません。ギリシャでは、財政赤字や政府債務の統計が大きく修正されました。2009年の財政赤字見通しも大幅に引き上げられ、格付け会社による格下げや国債利回りの上昇につながっていきました。

国債を買う側から見ると、「この国の財政数字を前提に価格をつけてよいのか」「次の借換えは成立するのか」「支援がなければ元利払いを続けられるのか」という疑問が一気に強まったわけです。その結果、ギリシャは国債市場での資金調達が難しくなっていきます。

主な流れを並べると、次のようになります。

出来事 意味
2001年 ギリシャがユーロ圏に参加 ギリシャ政府はユーロを使うが、単独でユーロを発行する政府ではなくなった
2009年 財政赤字と政府債務の数字が大きく修正される 国債を買う側が、ギリシャ財政の前提数字と借換え能力を疑い始めた
2010年 第1次支援プログラム ユーロ圏諸国とIMFによる支援が始まった
2012年 大規模な債務再編と第2次支援プログラム 民間債権者を巻き込んだ債務再編が行われた
2015年 第3次支援プログラム(ESMプログラム) 政治的対立、資本規制、追加支援が重なった
2018年 第3次支援プログラム(ESMプログラム)完了 継続的な救済融資への依存からは脱した
2022年 enhanced surveillance 終了 強化監視は終わったが、事後監視の枠組みは残った

ここでいうESMプログラムは、2015年に始まった第3次支援プログラムを指します。第1次、第2次、第3次と支援の枠組みは変わりながら続き、2018年に第3次支援プログラムが完了した、という流れです。

この流れを見ると、ギリシャ危機は、ある日突然「借金が多いから破綻した」という話ではないことが分かります。

財政赤字、債務残高、低成長、市場金利、統計の大幅修正、ユーロ圏の制度、ECBの対応、外部支援、緊縮条件、政治対立が絡み合っていました。

「財政破綻」という言葉を分解する

そもそも、「財政破綻」という言葉はかなり曖昧です。

人によって、デフォルトを指していることもあれば、国債金利の急騰、通貨暴落、インフレ、IMF支援、緊縮財政、社会的混乱をまとめて「破綻」と呼んでいることもあります。

ギリシャ危機で起きたことを分けると、少なくとも次のようになります。

現象 内容 ギリシャで起きたこと
名目デフォルト 国債の元利払いを約束通り行えないこと 債務再編を経験した
債務再編 元本削減、償還条件変更など 2012年に大規模再編
外部支援依存 IMF、EU、ESMなどへの依存 複数の支援プログラムを経験
金利急騰 市場で国債利回りが急上昇すること 危機時に発生
通貨危機 通貨下落、外貨不足など ユーロ圏内なので典型的な自国通貨危機とは異なる
緊縮財政 支出削減、増税、構造改革 支援条件として強く課された
社会的危機 失業、所得低下、公共サービス劣化 深刻に発生

ギリシャは、債務再編、外部支援依存、金利急騰、緊縮財政、社会的危機を経験しました。これは重い危機です。

ただし、これを「政府債務残高が大きい国の末路」とだけ見ると、危機の中心を見失います。

ユーロ圏の競争で何が起きたのか

ギリシャ危機の原因を、「借金が多かったから」とだけ説明すると、重要な部分が抜け落ちます。

もちろん、財政赤字と政府債務は重要です。主流派経済学の枠組みでは、債務残高が大きく、成長率が低く、金利が上がれば、債務残高対GDP比を安定させるのは難しくなります。国債を買う側が「次の借換えは成立するのか」と見始めれば、金利上昇がさらに財政を苦しくすることもあります。

しかし、それだけでは足りません。

ギリシャはユーロ圏の国でした。ユーロ圏では、加盟国が同じ通貨を使います。為替リスクが減り、域内取引もしやすくなります。

一方で、共通通貨には厳しい側面もあります。

自国通貨を持つ国であれば、競争力が落ちたとき、為替レートの下落を通じて調整が起こることがあります。通貨安になれば、輸出品は相対的に安くなり、輸入品は高くなります。

もちろん、これを「通貨安になれば輸出が伸びて解決する」と単純化することはできません。輸入依存が大きい国では、通貨安は輸入物価を押し上げ、家計や企業のコストを重くします。そもそも輸出できる産業基盤が弱ければ、価格だけが下がっても供給能力は急に増えません。それでも、自国通貨国には、良くも悪くも為替を通じた調整経路があります。

ユーロ圏内では、ギリシャだけが自国通貨を切り下げることはできません。ドイツとギリシャは同じユーロを使います。つまり、域内の競争力格差を為替で調整しにくい構造になっています。

たとえばドイツは、製造業の厚み、輸出企業の国際競争力、域内外に広がるサプライチェーン、賃金上昇の抑制、経常黒字といった条件を持っていました。単に「輸出が強い」というより、同じユーロのもとで価格競争力を維持しやすい生産構造を持っていたということです。

一方、ギリシャは観光や内需の比重が大きく、輸入への依存も重く、財政支出と国外からの資金流入に支えられた需要拡大が続いていました。ユーロ導入後の低金利と資本流入は、しばらくは成長を支えました。しかし、それは国内の供給能力が強くなったというより、外から入ってくる資金で需要が膨らんだ面も大きかった。

この構造では、外からの資金流入が止まったときに、需要を支える力も弱くなります。しかも、ギリシャだけが通貨を切り下げて輸出や観光の価格競争力を回復することはできません。

ここで重要なのは、「ギリシャ人が怠けていたから危機になった」という話ではないことです。問題は、共通通貨のもとで、国ごとの供給能力、産業構造、価格競争力の差をどう調整するのか、という制度の問題です。

ギリシャ危機の根には、財政だけでなく、ユーロ圏内の競争条件と供給能力の問題がありました。

ECBは最後の貸し手だったのか

ギリシャ危機を考えるうえで、ECBの役割も避けて通れません。

国債危機では、中央銀行が政府債務市場をどこまで支えるのかが重要になります。自国通貨国であれば、中央銀行は通常、その通貨を発行できる主体として国債市場の安定に深く関わります。

しかし、ユーロ圏では事情が違いました。ギリシャ政府はユーロを使っていましたが、単独でユーロを発行する政府ではありません。ECBはギリシャだけの中央銀行でもなく、加盟国政府の赤字を直接埋める機関でもありません。

そのため、ギリシャ危機を「最後の貸し手がなかったから」と説明したくなります。ただ、それだけで終わらせると不十分です。危機の中で、ECBの対応は変化していったからです。

2010年には、ECBはSMPという枠組みで国債市場への介入を行いました。これは、ユーロ圏の国債市場が混乱し、金融政策の波及に支障が出ることへの対応でした。

2012年には、OMTが発表されました。OMTは、条件を満たす国の短期国債をECBが買い入れる用意を示す仕組みです。実際に大規模に発動されたわけではありませんが、「ECBが必要なら動く」というメッセージは、ユーロ圏の国債市場に強い影響を与えました。

その後も、ユーロ圏では危機対応の制度が整えられていきます。

しかし、ここで重要なのは、ECBの支援や買い入れが、ギリシャ政府の自由な財布ではなかったという点です。OMTも無条件の財政ファイナンスではなく、ESMなどの支援プログラムや条件と結びついていました。

この条件には、財政緊縮と構造改革が含まれます。支援する側から見れば、これは「資金を貸す以上、財政赤字を減らし、債務を持続可能にし、価格競争力を回復するための条件」でした。

ここでいう競争力の回復とは、主に内的切り下げです。ユーロ圏内ではギリシャだけが通貨を切り下げられないので、賃金、年金、政府支出、国内価格を下げることで、相対的に安く売れる国にしようとする発想です。

ただし、これはかなり危うい処方です。

景気が落ち込んでいるときに政府支出を削り、増税し、賃金や年金を圧縮すれば、国内需要はさらに弱くなります。価格は下がるかもしれません。しかし、それは所得が下がり、雇用が失われ、国内経済が縮むことでもあります。

しかも、価格を下げればすぐに輸出産業が伸びるとは限りません。輸出できる産業基盤、技術、企業、設備、人材がなければ、価格だけを下げても供給能力は強くなりません。むしろ、長期失業や国外への人材流出によって、将来の供給能力が削られる可能性があります。

つまり、内的切り下げは「競争力回復」と呼ばれましたが、現実にはデフレと貧困化を通じて調整する政策でもありました。ギリシャ危機では、この調整の痛みが社会に強く押しつけられました。

主流派経済学の危機対応は何を見落としたか

主流派経済学の枠組みでは、ギリシャ危機は債務持続可能性の危機として説明できます。

政府債務が増え、経済成長が弱く、金利が上がると、債務残高対GDP比を安定させるのが難しくなります。プライマリーバランスを改善しなければ、利払いが債務をさらに膨らませる。国債市場がその国の財政運営を疑えば、国債金利が上がる。金利が上がると、さらに債務持続可能性が悪化する。

この説明には意味があります。財政赤字、金利、成長率、債務残高の関係は、危機を見るうえで無視できません。

しかし、危機対応として前倒しの緊縮を強く求めたことは、大きな政策ミスでした。

危機時のギリシャでは、民間需要がすでに弱り、資本流入も止まり、銀行システムも不安定でした。その状況で政府支出を削り、増税し、賃金や年金を下げれば、国内需要はさらに落ちます。需要が落ちれば企業の売上が減り、雇用が失われ、所得が減り、税収も弱くなります。

しかも、GDPが縮めば、債務残高対GDP比の分母も縮みます。財政赤字を削る政策が、同時に経済全体を縮ませるなら、債務比率の改善は思ったほど進みません。

IMF内部の事後評価や、その後のIMF研究でも、危機初期の財政乗数は当初想定より大きかった可能性が示されました。つまり、緊縮が成長に与える悪影響を小さく見積もっていた可能性がある、ということです。

支援する側には理屈がありました。無条件に資金を出せば、他国の納税者への説明がつかない。財政規律が崩れる。ユーロ圏全体にモラルハザードが広がる。そうした政治的・制度的制約はありました。

しかし、その制約があったことと、実際に選ばれた政策が適切だったかは別です。ギリシャで起きたのは、財政再建によって成長を取り戻す過程というより、緊縮によって経済を縮小させ、その痛みを社会に押しつける過程でした。

ギリシャ危機から何を学ぶべきか

ギリシャ危機から学ぶべきことは、「政府債務が大きい国は、いつか必ず破綻する」という話ではありません。

ギリシャ危機は、共通通貨制度のもとで、財政、金融、市場、域内競争、供給能力、政治条件が重なった危機でした。

債務残高だけを見ても、危機は理解できません。どの通貨で債務を負っているのか。その通貨を政府がどの制度のもとで使っているのか。中央銀行はどのような役割を持つのか。為替による調整は可能なのか。国内の供給能力や産業構造はどうなっているのか。外部支援にはどのような政治条件が付くのか。

こうした問いが必要です。

ギリシャ危機は、日本の将来予測ではありません。日本がギリシャと同じ経路で財政危機に陥る、と読むべきではありません。

では、ギリシャ危機は日本財政破綻論の根拠になるのか。そこは後編で整理します。

参考

参考資料は refs.md を参照。

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