ロシア1998年デフォルトはなぜ起きたのか
この記事のねらい
ロシアの1998年危機は、日本の財政破綻論でくり返し引き合いに出されます。「自国通貨建てでも破綻した実例があるじゃないか」と。この一言はよくできていて、言われるとつい、確かにそうかもしれない、と黙ってしまう。
けれど、1998年のロシアで実際に何が起きたのかを順に追うと、この一言が決定的な前提を一つ見落としていることが、はっきり分かります。この記事は、その「実際に起きたこと」を流れとして組み立て直し、見落とされている前提を掘り出す回です。
道具立ては、前の2回でそろえてあります。第1回では、為替レートはなぜ動くのか、固定するには何が要り、なぜ破れるのかを確認しました。第2回では、GKO、ロールオーバー、ソブリンリスク、資本流出といった、危機の記述に必ず出てくる難語をほどきました。今回はその道具を使って、出来事そのものを追います。だから用語そのものの説明はしません。意味に迷ったら、前の2回に戻ってください。ここでやりたいのは、用語の定義ではなく、流れの理解です。
先に、この記事の見取り図を渡しておきます。ロシア1998年危機は、「財政赤字で単純に破綻した」でも「自国通貨建てでも政府は家計と同じだった」でもありません。短期国債への依存、為替の防衛、外貨準備の枯渇、原油安、資本流出、銀行不安——これらがほぼ同時にかかった複合的な危機でした。そして、いちばん大事な前提を先に言ってしまえば、ロシアは為替を固定で守ろうとした国、つまり変動相場ではなかった国です。この一点が、「自国通貨建てでも破綻した」という話を、変動相場の国にそのまま当てはめられない理由になります。ここが、この記事の芯です。
まず、1998年8月17日に何が起きたか
流れを戻す前に、先に「結末」を置きます。何を目指して坂を転がり落ちたのかが分かっていたほうが、途中の流れも追いやすいからです。
1998年8月17日、ロシア政府(キリエンコ政権)は、三つのことを同時に発表しました。※1
- ルーブルを切り下げた。 それまで1ドル=5.3〜7.1ルーブルの帯に収めていたものを、6.0〜9.5ルーブルへと帯を広げました。守っていたレートを、自分から手放したということです。
- 国内の借金を再編した。 ルーブル建ての国内国債(GKO/OFZ)を、新しい証券へ強制的に置き換える。約束どおりには返さない、事実上のデフォルトです。
- 対外支払いを一時停止した。 銀行などが負う対外債務や為替の先物契約について、90日間の支払い猶予(モラトリアム)を課しました。
そして直後、ルーブルは崩れました。8月14日にはまだ1ドル=6.29ルーブルだったものが、9月下旬には約21ルーブルへ。ひと月あまりで、価値のおよそ3分の2を失いました。※2 銀行がいくつも破綻し、経済は大きく落ち込みます。
ここで注目してほしいのは、この三つが同時に発表された、という点です。為替の切り下げ、国内債のデフォルト、対外支払いの停止。ばらばらの出来事ではなく、一つの詰みの、三つの側面です。なぜこの三つが同時に来たのか。ここから、坂道を逆にのぼって流れを見ていきます。
発端にあった「借り換え」
出発点は、政府の借金のかたちにあります。
ロシア政府は、財政赤字を埋めるために、GKO——短期のルーブル建て国債——を大量に発行していました。第2回で見たとおり、短い借金に頼ると、満期が来るたびに新しく借り直す、絶え間ない借り換え(ロールオーバー)が必要になります。大事なのは残高より、その借り換えが回り続けるかどうかでした。
ロシアの場合、その足元が弱かった。税金がうまく集まらず、財政はもともと苦しい。どれくらい苦しかったかというと、1998年6月には、借金の月々の利払いが、月々の税収を4割も上回るところまで来ていました。※3 入ってくるお金より、利息の支払いのほうが多い。これでは、借り換えを止めた瞬間に行き詰まります。
借り換えを続けてもらうには、買い手を引き止めなければなりません。手は、より高い金利を約束することです。実際、1998年6月には、GKOの金利は年150%という異常な水準まで引き上げられました。※4 しかし高い金利で借り換えるほど、次の利払いはさらに重くなる。第2回で触れた、借り換えを続けようとするほど条件が悪くなる悪循環に、すでに入っていたわけです。
同時に、為替も守っていた
やっかいなのは、政府がこの借金のやりくりと並行して、為替も守っていたことです。
第1回で見たように、当時のロシアはルーブルの値段を一定の帯の中に収めようとしていました。放っておけばルーブルを売る勢いのほうが強い。その売りを、中央銀行が外貨準備を取り崩して受け止め、帯からの下落を押し戻す。守るのに使えるのは、自分では刷れない外貨であり、使えば減っていきます。
つまりロシアは、重い課題を二つ同時に抱えていました。片方では、高い金利を払ってGKOの借り換えをつなぐ。もう片方では、外貨準備を使ってルーブルの値段を守る。平時なら、どちらもなんとか回せたかもしれません。ところが、そこへ外から逆風が吹きます。
外からの二つの逆風
一つ目は、原油安です。
ロシアは、石油や天然ガスの輸出で外貨を稼ぐ国です。ところが1997年から1998年にかけて、原油価格は際立った安値まで落ち込み、1バレル10ドル前後まで下げたとされます。輸出で得られる外貨は細り、同時に、資源関連の税収も落ちる。為替を守るための外貨準備と、借金を返すための財政の、両方の元手がやせていきました。
二つ目は、アジア通貨危機です。1997年にアジアで起きた通貨危機のあと、投資家は新興国全体を「危ない」と見るようになっていました。ロシアもその一つと見なされ、資金の引き上げが強まります。第2回で見たとおり、この資本流出は、為替市場ではルーブル売り・外貨買いとして現れます。※5 中央銀行には、ルーブルを売って外貨に換えようとする動きが殺到しました。
この二つの逆風は、担当がきれいに分かれていたわけではありません。原油安は外貨の稼ぎを細らせて外貨準備をも直撃し、資本流出はGKOの金利をさらに押し上げて財政をも締め上げる。財政と為替の両方が、二つのショックに重ねて揺さぶられ、同時に崩れにかかったのです。
二正面作戦は、続かない
ここが、この危機のいちばんの山場です。
借り換えを回すには、金利を上げるしかない。しかし金利を上げれば、景気も財政も痛み、「やはり危ない」という不信をかえって強めてしまう。一方、為替を守るには、外貨準備を使うしかない。しかし原油安と資本流出で、準備はどんどん流れ出ていく。金利で借金の側を、外貨準備で為替の側を、それぞれ支えようとする。その両方が、同じ一つの不信から同時に揺さぶられて、どちらも支えきれなくなっていきました。
外からの支援もありました。IMFと世界銀行は、1998年7月13日に総額226億ドルの支援を承認します。※6 けれど、市場が落ち着いたのは数週間だけでした。根っこにある板挟みが解けたわけではなかったからです。
そして8月17日、政府はついに、どちらも守りきれないと認めます。帯を手放してルーブルを切り下げ、国内債を再編し、対外支払いを止めた。冒頭に置いた三つの発表は、この二正面を同時に支えきれなくなったことの表明だった、というわけです。
なぜ「単純な財政破綻」ではないのか
ここまでの流れを踏まえて、冒頭の一言に戻ります。「自国通貨建てでも破綻したじゃないか」。この一言がなぜ的を外しているのかを、三つに分けて確かめます。
一つ目。ロシアは変動相場ではなく、固定相場だった。 まず、はっきりさせておきます。ロシアは、ルーブルという自国通貨を持ち、ルーブル建ての国債も発行していました。自国通貨がなかったわけではありません。足りなかったのは、通貨ではなく条件のほうです。
MMTが「自国通貨建ての国債では財政破綻しない」と言うとき、そこには条件があります。政府の借金が自国通貨建てであること。その通貨を変動相場に委ね、為替レートを固定で守る約束をしていないこと。そして、政府(と中央銀行)がその通貨を発行できること。この条件がそろって初めて、通貨を発行する力が支払いの最後のよりどころになり、名目上の破綻はなくなります。そのとき残る本当の歯止めは、支払い能力ではなく、インフレ——国内でモノを作る供給能力の限界——のほうです。
ロシアが外していたのは、この真ん中の条件でした。ルーブルを一定の帯に固定で守ろうとしていた。つまり、変動相場ではなかった。(くわえて、銀行や企業はドル建ての借金も抱えていました。)そして、為替を固定で守ると決めた瞬間に、通貨を発行する力は、その防衛に縛られます。GKOを返そうと大量のルーブルを刷れば、守っているレートを自分から崩してしまう。ロシアは、刷って返す道を、自分の手で塞いでいたのです。自国通貨建ての国債すら止まったのは、支払い能力が尽きたからではなく、固定相場を守るために通貨発行を封じていたからです。
だから、はっきり言えます。ロシアの破綻は、「自国通貨建てでも破綻する」ことの証明ではありません。固定相場を選び、通貨発行の自由を自分から手放した国が行き詰まった、という話です。変動相場のもとで自国通貨建ての国債を出している国——たとえば日本——とは、そもそも土俵が違います。ロシアを引き合いに「自国通貨建てでも破綻したのだから日本も危ない」と言うのは、固定相場と変動相場という、決定的な前提の違いを飛ばした議論なのです。
二つ目。通貨危機が、銀行危機へ広がった。 政府の資金繰りだけの問題では終わりませんでした。ロシアの銀行や企業は、ドルなど外貨建ての借金も抱えていました。ルーブルが暴落すると、第2回で見たバランスシート効果で、その外貨建て負債はルーブル換算でふくれ上がります。多くの銀行が耐えきれず破綻しました。危機は、為替から銀行、そして実体経済へと連鎖したのです。
三つ目。だから「複合危機」と呼ぶ。 弱い財政と短期国債への依存、帯を守るための外貨準備の枯渇、原油安とアジア危機という外的ショック、そして銀行不安。これらが重なり、互いを強め合いました。※7 危機がこれほど深くなったのは、どれか一つの原因のせいではなく、この重なりのせいです。ただし、それが「自国通貨建ての国債のデフォルト」というかたちを取った根っこには、一つ目で見た固定相場があります。単純な財政破綻という枠にも、家計の破産という枠にも、収まらない出来事なのです。
まとめ
ロシア1998年危機を、流れとして振り返ります。
弱い財政を短期国債(GKO)の借り換えで支え、その借り換えを回すために金利を吊り上げていた。同時に、ルーブルの値段を帯の中に守るため、外貨準備を取り崩し続けていた。そこへ、原油安とアジア危機後の資本流出が重なり、財政と為替の両方を同時に痛める。借金の側と為替の側を同時に支えきれなくなり、1998年8月17日、政府はルーブルを切り下げ、国内債を再編し、対外支払いを止めた。そして通貨の暴落は、外貨建て債務を抱えた銀行を巻き込み、危機は連鎖していった。
これは、財政赤字による単純な破綻ではなく、為替・財政・外的ショック・銀行が絡み合った複合危機でした。そして、自国通貨建ての国債すら止まった背景には、ルーブルを固定で守るために、通貨を発行する力を自分から縛っていた、という事情があります。ロシアは固定相場の国であり、通貨を発行できることが支払いのよりどころになる条件を、そもそも満たしていませんでした。だから、ロシアを「自国通貨建てでも破綻した」証拠として、変動相場で自国通貨建ての国にそのまま当てはめることはできません。
次回は、いよいよシリーズの本丸です。今回ふれた「通貨を発行する力が支払いのよりどころになる条件」を、もっと丁寧に分解します。為替を固定で守ることや、外貨建ての借金を負うことで、その力がどこまで削られるのか。日本やアルゼンチン、トルコと並べながら、ロシアの立ち位置を資料とともに詰めていきます。
参考
関連記事
外部資料
- ※1 1998 Russian financial crisis – Wikipedia(1998年8月17日の三措置:為替バンド 5.3–7.1→6.0–9.5、国内債再編、90日モラトリアム)
- ※2 1998 Russian financial crisis – Wikipedia(8月14日 6.29ルーブル → 9月下旬 約21ルーブル、約3分の2下落)
- ※3 1998 Russian financial crisis – Wikipedia(1998年6月、月次利払いが月次税収を約40%上回った)
- ※4 1998 Russian financial crisis – Wikipedia(1998年6月、GKO金利を150%へ引き上げ)
- ※5 1998 Russian financial crisis – Wikipedia(アジア危機後の資本流出、中央銀行への取り付け=ルーブルと資産の売却)
- ※6 1998 Russian financial crisis – Wikipedia(1998年7月13日、IMF・世界銀行が226億ドルの支援を承認)
- ※7 Brookings「An Analysis of Russia’s 1998 Meltdown: Fundamentals and Market Signals」(ファンダメンタルズの弱さと市場シグナルからの複合的分析)

