経済理論

自社の株価が上がると、従業員の何が増えるのか――会長の報酬は15倍、平均給与は16%増えた

max999

株価が38倍になった会社で、増えたのは誰の何か

2024年12月に東証プライムへ上場したキオクシアホールディングスの初値は、1,440円でした。公開価格の1,455円を15円下回る、静かな滑り出しです。このときの時価総額は7,762億円でした※1

それから1年半で、株価の桁が変わりました。2026年6月22日には11万2,700円をつけ、時価総額は約62兆円、初値の約80倍です。この月にトヨタ自動車を抜いて時価総額で国内首位に立ち、2位との差は8兆円を超えました。ただ、その水準は続いていません。7月27日時点の株価は5万4,550円、時価総額は約30兆円で、初値からの倍率は約38倍です。1か月あまりで半分です。

同じ期間に会社の中で起きたことも、数字で残っています。2026年3月期の売上収益は2兆3,376億円で前期比37.0%増、営業利益は8,703億円で同92.7%増※2。ステイシー・スミス会長の報酬は44億3,100万円で、前期の2億9,600万円から約15倍になりました。事業会社キオクシアの従業員の平均年間給与は942万円で、前期比16%増です※3。持株会社のほうの従業員は百数十人で、グループの実態を表さないため、事業会社の数字を使います。そして2018年に東芝メモリ(キオクシアの前身)を買った投資ファンドのベインキャピタルは、2026年7月に保有株を売り切り、売却益は約2.5兆円と報じられました※4

38倍、15倍、16%、2.5兆円。同じ会社の、ほぼ同じ期間の数字です。

第1回で、所有者の取り分は会社全体に連動し、従業員の取り分は自分一人の労働契約にしか連動しない、と書きました。株価は、その「会社全体につく値段」そのものです。値段がこれだけ動いたとき、その増減は誰の手元にどう届いたのでしょうか。

上がった分のお金は、どこへ行ったのか

時価総額は、株価に発行済株式数を掛けた数字です。キオクシアの発行済株式数は5億4,801万株ほどですから、株価が5万5千円なら約30兆円、11万円なら約60兆円になります。掛け算の答えであって、会社の金庫にある残高ではありません。

株価が上がるとは、市場で売買が成立する値段が上がることです。すでに発行された株の売買は、会社が自社株を買い戻す場面を除けば、投資家どうしの取引です。買い手が払った代金は、売り手の口座に入ります。発行した会社の口座は動きません。会社に現金が入るのは、新しく株を発行して引き受けてもらったとき(増資)です。この区別は第2回で四つの財布に分けたとおりで、株価が動く場面でも変わりません。

ですから、時価総額が7,762億円から約62兆円になったといっても、差額のおよそ61兆円が誰かの口座に振り込まれたわけではありません。振り込みが起きるのは、実際に売った人のところだけです。ベインキャピタルが約2.5兆円の売却益を確定できたのは、上場後に段階的に売り進め、2026年7月に全株を手放したからです。売らずに持っている株主の手元にあるのは、いま売ればこれだけになるという評価額です。

高い株価は、会社にとって何の役に立つのか

会社の口座が動かないなら、株価が高いことは会社にとって何なのか。無意味ではありません。増えるのは残高ではなく、条件のほうです。

  • 増資をするとき、同じ金額を集めるのに発行する株数が少なくて済みます。既存株主の持分が薄まる度合いが小さくなります
  • 他社を買うとき、現金を用意する代わりに自社株を対価に使えます
  • 株式で報酬を払うとき、現金を使わずに大きな金額の報酬を渡せます
  • 取引先や求職者からの評価が上がり、金融機関の与信も得やすくなります

四つとも、使える条件が良くなるという話です。増資をしなければ調達額はゼロですし、買収をしなければ自社株は対価になりません。条件の良さは貸借対照表に金額として載るものではなく、会社が実際に使って、はじめて何かが動きます。

株価が上がると会社の担保力が増す、という言い方も見かけますが、自社の時価総額は会社が持っている資産ではありません。株式そのものを担保に差し入れて借りられるのは、その株式を保有している側です。ここでも、上昇分を使えるのは会社の外にいる株主のほうです。

なぜ会長の報酬は15倍で、給与は16%増だったのか

会長の44億3,100万円には、内訳が公表されています。固定報酬が1億5,500万円、業績連動報酬が2億1,500万円、株式報酬が34億3,800万円、特別報酬が6億2,300万円です※5。前期の総額が2億9,600万円ですから、増えた40億円あまりの大半はこの株式報酬です。

株式報酬は、株式そのもの、または株式を受け取れる権利として渡されます。前回扱ったストックオプションも、この種類の報酬です。役職の高さは、この報酬をいくら分渡すかを決めます。ただ、その分が34億円になったのは、渡した量ではなく株価のほうが動いたからです。株価に連動する項目を持つ人の報酬が株価とともに跳ねるのは、その項目がそう設計されているからで、貢献が15倍だったからではありません。

同じ年、早坂伸夫前社長の報酬は7億9,400万円で、前期比6.6倍でした(1億円以上として開示されたのは、会長と前社長の2人です)。同じ役員でも倍率が違うのは、株価に連動する報酬をどれだけ持っているかが違うからです。役職の高さだけでは倍率は決まりません。

従業員の平均給与を16%押し上げたのは、株価ではなく業績です。売上収益が37.0%、営業利益が92.7%伸びた年の賞与が反映されています。給与の算定式に株価は入っていません。

会長の報酬にも、業績に連動する項目はあります。2億1,500万円です。株式報酬はその16倍でした。業績に連動する部分だけを取り出せば従業員の側と同じ土俵にあって、40億円の差を作ったのは株価に連動する項目のほうです。役員は二つの項目を持ち、従業員は一つしか持っていません。

業績と株価は、同じ好況を映してはいます。ただ、動く幅が違います。この年の営業利益は1.9倍でした。株価のほうは数十倍です。しかも6月から7月にかけて株価は半分になりましたが、業績が半分になったわけではありません。業績は稼いだ額の記録で、株価は他人がその会社に付ける値段です。近い向きに動くことはあっても、同じものではありません。

分岐点は、貢献の量でも役職でもありません。株価に連動する報酬項目を持っているかどうかです。

その項目を誰が持っているかには、はっきりした偏りがあります。三井住友信託銀行とデロイト トーマツが2025年に公表した役員報酬サーベイでは、役員向けの長期インセンティブ報酬(株式報酬など、複数年にわたって株価に連動する報酬)を導入している会社は全体で80%、プライム上場企業では93%でした※6。同じ調査で、従業員向けの長期インセンティブ報酬を導入済みと答えた会社は31%です。この「従業員向け」が全社員を指すのか幹部層に限られるのかは、公表資料では区別されていません。

株を持たない従業員にも、給与天引きで自社株を買い付ける持株会という経路はあります。東京証券取引所の調査では、加入者1人当たりの平均保有金額は250.3万円です(2025年3月末時点)※7。持っていれば株価の上昇分だけ増えます。ただ、この平均額を持っている人の株価が倍になっても、増えるのは250万円ほどです。連動がないのではなく、連動している金額の桁が違います。

会社が伸びれば、いずれ従業員にも回るのではないか

給与は実際に上がっています。16%は小さな数字ではありません。会社が高い利益を出せば倒れにくくなり、投資に回せる金額が増え、採用も増えます。従業員が受け取るものは確かにあります。

ただ、その届き方には形があります。賞与の原資をどれだけ積むかも、賃上げ率をいくつにするかも、会社が決めています。決めれば届き、決めなければ届きません。株価の上昇分が持分の側に自動で乗るのとは、経路が違います。

経路が違うというだけなら、片方が増えても他方が減るわけではありません。ただ、二つの取り分は、対等な位置に並んでいるのでもありません。

給与は、利益が出る前に費用として引かれます。株主の取り分は、費用を全部引いたあとに残るところから出ます。第1回で残余請求権と呼んだ順番です。同じ売上のなかで見れば、人件費を減らした分はそのまま利益になります。

キオクシアの2026年3月期のように売上収益が37%伸びる年には、この向きの違いは表に出ません。人件費も利益も同時に増やせるからです。給与が16%増えて営業利益が92.7%増えたのは、そういう年だったということです。

向きが表に出るのは、売上が伸びない年のほうです。利益を1割か2割改善しろという要求に対して、売上を同じだけ伸ばすのは相手のあることですが、コストを削るのは自分で決められます。人件費はそのなかで大きな項目です。採用を止め、賞与の原資を絞り、人員を減らせば、削った分は利益に乗ります。利益が乗れば、株価にも効きます。この局面では、株価にとって良いことと従業員の取り分にとって良いことが、逆を向きます。

配当を出している会社では、利益の分け先がもう一つ増えます。配当の原資も利益から出るので、人件費と同じところを分け合う関係になります。しかも株主は配当の維持や増額を求めますし、減配は株価に響くので、いちど出した水準は下げにくくなります。利益が伸び悩む年に配当を守ろうとすれば、調整の余地はコストの側に寄ります。

下がったときは、どう届くのか

株価の上振れは、株価に連動する報酬項目を挟まなければ、株を持たない従業員に届く道がありません。会長の34億円は株式報酬という項目を通って届きました。項目を持たない人には、通る道がありません。

業績の上下は違います。上も下も、会社の裁量を通って届きます。16%の賃上げも、業績が落ちた年の対応も、同じ裁量から出ています。下だけが会社の判断を経ずに降ってくるわけではありません。

非対称の実体は、その先にあります。下振れのときだけ、会社は配る量を決めるのとは別の経路を持ちます。雇用そのものを削るという経路です。配らない判断は取り分が増えないだけですが、削る判断は取り分の土台をなくします。

従業員が株価の下落を自分の身に迫るものとして受け取るのは、間違っていません。来期の予算も、採用の枠も、賞与の原資も、事業を続けるかどうかの判断も、株価が映しているのと同じ業績と市況を見て決められます。株価そのものは取り分の外にありますが、株価を動かしている当のものは、賞与と雇用という別の口から入ってきます。

自社の株価を、どう見ればいいのか

勤め先の株価をどう扱えばよいか。確かめる項目は四つです。

  • 自分の報酬に、株価に連動する項目があるか。ストックオプション、株式報酬、持株会のいずれか。あるなら、報酬全体のうちどれだけの割合か
  • 業績連動の項目があるなら、それは賃金規程に算定式として書かれたものか、その年ごとの会社の裁量で決まるものか
  • 会社の利益は、どうやって増えているか。売上が伸びて増えているのか、コストを削って出しているのか
  • 会社は高い株価を実際に何に使ったか。増資をしたか、株式を対価に買収をしたか、使わないまま置いているか

「株価が上がっているから会社は好調だ」というところまでは、たいてい当たっています。そこから「だから自分の取り分も増える」へ進むには、間に制度が一つ挟まります。

株価を守れ、と社内で言われることがあります。守る対象そのものは実在します。株価が落ちれば調達も採用も苦しくなります。ただ、落ちたときに失うものは、立っている場所で違います。持分を持つ側には、下げの途中で売って損失の確定を避けるという道があります。ベインキャピタルは2026年7月に全株を売り切り、東芝も6月から7月にかけて市場で売却を重ねて保有比率を下げました。従業員が失うのは賞与と雇用で、先に売って抜けるという道は付いていません。

四つの確認項目は、どれも株価のチャートには書かれていません。賃金規程と報酬の内訳、そして損益計算書という、紙のほうに書かれています。

資金調達、上場、ストックオプション、株価。会社が大きくなる場面ごとに、動く財布を分けて数えてきました。残っているのは、増えた分が最後にどこへ行き着いたのかという問いです。企業価値の増加は、誰の生活を豊かにしたのか。次回はそこを見ます。

参考

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