会社が大きくなると、誰が豊かになるのか――所有者は組織全体、従業員は自分一人分
会社が大きくなったとき、大きくなるのは誰の取り分か
創業2年目、社員10人のベンチャーに入ったとします。10年後、社員は1,000人を超え、会社は上場しました。上場ではなく、大手に買収されて創業者が数十億円を手にした、という筋書きでもかまいません。
では、その10年を走り続けた社員の給与は、100倍になったでしょうか。
なりません。上がっていたとしても、会社が100倍になったから自動的にそうなったわけではありません。これを、還元をしぶる経営者の性格の問題として説明すると、話を読み違えます。経営者が善良で、払える限り払う人だったとしても、給与が会社の規模に比例して増える仕組みには、そもそもなっていないからです。
所有者の取り分は、組織の全体に連動します。従業員の取り分は、原則として自分一人の労働契約にしか連動しません。会社が大きくなるとき、この差は縮まるのではなく開きます。
給与は何に連動し、持分は何に連動するのか
従業員が受け取るのは、あらかじめ決められた賃金です。会社の利益が計画を大きく上回っても、その超過分が自動的に配られることはありません。業績連動賞与を出す会社はありますし、賃金規程で算定式まで定めてあれば賃金の一部として請求もできます。ただし請求できるのは、会社が事前に約束した算定式の範囲までです。
株主が持つのは、性質の違う権利です。賃金も仕入れ代金も利息も税も払ったあとに、なお残るもの。この「残るもの」への権利を、残余請求権と呼びます。「残り」といっても、金額が小さいという意味ではなく、順番が最後だという意味です。だから業績が悪ければ取り分はゼロにも負にもなり、伸びたときの超過分は上限なくこちら側へ積み上がります。
そしてこの権利には、会社全体を単位とした値段がつきます。上場していれば市場でついた株価、していなければ資金調達のときの評価額や、買収の提示額です。値の決まり方は場面ごとに違いますし、業績だけで動くものでもありません。ただ、どの場面でも値付けの対象は会社全体です。以下、この残余請求権と、会社全体につくその値段への取り分を、あわせて持分と呼びます。
持分が「連動する」とは、評価額が上がるたびに現金が振り込まれることではありません。配当、株式の売却、株式を担保にした借入、そして上場や買収による現金化。こうした形で実現できる取り分が、会社全体を対象に設定されている、ということです。従業員の給与には、この会社全体を単位とした値付けがありません。
- 創業者兼主要株主の経済的利益:役員報酬 + 持株比率 × 会社全体の値段の増減
- 株を持たない従業員の経済的利益:給与 + 賞与 + 福利厚生
前者にだけ、会社全体を映す項が入っています。
人数を増やすだけで利益が増えるのはなぜか
人手が売上を生む労働集約型の会社で考えます。極端に単純化します。
- 従業員数:N
- 従業員一人あたりの売上:r
- 従業員一人あたりの賃金その他の費用:c
- 会社全体の利益:N ×(r − c)
一人あたりの生産性 r が10年間まったく上がらなくても、N を10人から1,000人にすれば、利益の総額は100倍になりえます。増えたのは働きの中身ではなく、同じ働きを載せる器の数です。
所有者は N ×(r − c)の全体に持分を持ちます。従業員一人が受け取るのは c の一部です。N が100倍になっても c は100倍になりません。掛け算の外側にいるからです。未上場でも同じで、投資家や買い手がつける評価額は、この利益と成長の見込みを土台にします。人数を増やして総額を伸ばすことは、そのまま Exit のときの値段を押し上げる作業になります。
生産性の伸びない会社でも所有者に会社を大きくする動機があるのは、このためです。一人あたりの成果を引き上げるには教育も設備も工程の作り直しも要りますが、人を増やすのは採用の問題で済みます。
強欲を告発する話ではありません。人を増やすほど自分の持分の対象が広がる側と、何人に増えようと自分の一人分しか売っていない側とでは、会社が大きくなることの意味が違う、というだけです。
この単純化が当てはまらない業種もあります。ソフトウェアのように規模とともに r 自体が上がる事業もあれば、逆に人数が増えて管理と調整の手間がかさみ、c が膨らんで(r − c)が痩せることもあります。どちらに転んでも、その増減が誰の取り分になるかという問いは残ります。
見るべきは肩書ではなく、持分ではないのか
ここまでを「経営者と従業員の対立」として読むと、軸を取り違えます。
- 創業者:経営権と大きな持分を持ち、資金も労働も差し出している
- 外部から招いた経営者:報酬は高いことがあるが、大きな持分を持つとは限らない
- 出資した投資家やファンド:労働も日常の経営も差し出さずに、持分価値の上昇を受け取る
- ストックオプションや持株会を持つ従業員:限られた範囲で所有者側に参加する
- 株を持たない従業員:賃金契約からのみ収入を得る
外部から招いた経営者は、組織図の上では所有者の側に見えますが、持分の面では従業員に近いことがあります。逆に、日常の業務にまったく関わらない投資家が、規模拡大の利益を最も素直に受け取ります。会社が大きくなって得をするのは、その会社で働いている度合いの高い人ではなく、持分の大きい人です。
会社の成長は、従業員に何ももたらさないのか
会社が伸びれば処遇も上がる。その通りの面はあります。倒産しにくくなれば雇用は安定します。階層が増えればポストも増えます。一人では手の届かない案件を経験できますし、名の知れた会社にいた経歴は転職市場でも値がつきます。原資が増えれば賞与も福利厚生も改善し、分業と設備投資は一人あたりの負担を軽くします。
賃金の水準そのものもそうです。規模の大きい会社ほど賃金が高い傾向は、実際にあります。ただ、その水準差が生まれる筋道を見ると、話の向きは変わりません。大きい会社の賃金が高いのは、会社の値段の上昇分が持分のない従業員へ回されているからではなく、設備と分業で一人あたりの生み出す額が大きいこと、採用で競り合う相手の水準が高いこと、組合や人事制度が水準を押し上げていることの結果です。会社の規模から給与へ、直接引かれた線があるわけではありません。
いずれも、会社全体の値段の上昇に比例して受け取れる権利ではありません。会社が分配方針を決め、労働市場が逼迫し、労使交渉や人事制度が働いて、はじめて従業員のところへ届きます。同じ規模で同じ利益を出していても届く会社と届かない会社があるのは、そのためです。
ここでの主張は「会社の成長は従業員に一切利益をもたらさない」ではなく、「成長が従業員の豊かさへ自動的かつ比例的に波及する制度にはなっていない」です。前者が正しいのなら、従業員が会社を大きくすることに協力する理由は初めからありません。後者は、協力する理由はあるけれども、その見返りの大きさが制度に委ねられている、という話です。求めるべきは成長の否定ではなく、成長を分配へつなぐ仕組みのほうになります。
リスクを取った者が報われるのは当然ではないか
最も強い反論はここでしょう。創業者は、資金と労働の両方を差し出しています。無給の期間があり、個人保証を負い、失敗すれば再起にも年月がかかります。生活のすべてを一社に賭けているという点で、負っているものは金銭にとどまりません。誰もその立場を引き受けなければ、会社は生まれず、雇用も生まれません。取ったリスクの対価として持分を得ることには、はっきりとした合理性があります。
ここは否定しません。ただし、この理屈が同じ強さで通るのは、創業者までです。
出資者は違います。金は出しますが、労働は差し出しません。関与するのは株主総会や取締役会での発言までで、日々の仕事は他人がします。そして彼らにとって、この会社は投資先の一つです。国債に置くか、上場株に置くか、未上場のベンチャーに置くか。その配分の一枠を占めているにすぎません。一社が消えても、失うのはポートフォリオの一部です。同じ「リスクを取った」でも、創業者のそれとは中身が違います。
従業員はどうでしょうか。収入も、時間も、身につけるスキルも、生活の設計も、まるごと一社に集中させています。分散できないという点で、従業員は出資者よりも創業者に近い側にいます。違うのは、その集中に持分という対価が付いているかどうかだけです。
そう見ると、いくつかの問いが残ります。
- 従業員が負う失職、健康の悪化、転職機会の先送り、その会社でしか通用しないスキルへの集中を、どう評価するのか
- 初期のリスクへの報酬は、どの時点まで無制限に正当化されるのか
- 規模の拡大で生まれた利益を、資本を出した側と労働を出した側でどう分けるのか
- 従業員に創業者並みの献身を求めるなら、持分をどれだけ渡すべきなのか
一つ目は、いま見たとおりです。集中の度合いで測るなら、従業員が負っているものは出資者より重いことになります。それでも持分は出資者に渡り、従業員には渡りません。
二つ目には、融資と比べると答えが出ます。銀行も創業期の会社に貸すというリスクを取りますが、そのリターンには金利という上限と、完済という期限があります。創業期に1,000万円を貸した銀行は、返済が終われば関係が切れます。その会社が10年後に1,000億円になっても、取り分は増えません。出資だけが、上限も期限も持ちません。これはリスクの大きさから出てくる違いではなく、制度がそう設計されているというだけです。「リスクを取ったから報われるべきだ」という理屈は、報酬の根拠を説明してはいても、その報酬に上限と期限がないことまでは説明していません。
リスクを取っている状態そのものも、いつまでも続くわけではありません。売上が安定し、個人保証が外れ、上場が視野に入るころには、失敗する可能性はほとんど残っていません。利益の大半を採用や設備へ回して急拡大を続けているなら、まだ賭けている最中だと言えます。しかし安定した売上から取り分を受け取るだけの段階に入れば、それはもうリスクの負担ではありません。それでも、正当化に使われる理屈は創業時のままです。
三つ目には、経世済民の視点から答えます。会社が大きくなること自体は、供給能力を増やし、雇用を作り、財やサービスを世に出すかぎり望ましいことです。問題は、その成果の取り分を決める連動の形が、契約の段階で最初から傾いていることのほうです。この傾きは、市場に任せておいて直るものではありません。賃金制度、労使交渉、持分の付与、税と再分配といった分配のルールが直すものです。効率と分配は別問題で分配はあとで直せばよい、という整理が実務では効率の側だけを前に押し出して終わることは、M&Aの記事で見たとおりです。
四つ目には、まだ答えていません。渡すべき持分の量は、上場益が実際にどう分かれるのか、ストックオプションが手元でいくらの価値になるのかを見ないと決められないからです。この問いは、シリーズが持ち越します。
会社の成功を、自分の成功と呼べるのはどんなときか
冒頭のベンチャーに戻ります。この10年で、創業者の持分の対象は100倍になり、上場か買収でそれが現金に変わりました。社員一人が売った労働は、10年前と同じく一人分です。会社の成功と社員の成功は、ここで別々に数えられています。
会社の成長を自分の成功と呼べるのは、その成長が賃金や持分へ接続する分配ルールがあるときだけです。ルールのないところで両者が一致するのは、たまたまです。
そして、その差は努力では埋まりません。一人目の社員として10年支えても、貢献の量で所有者の側へ移ることはないからです。側を決めるのは入社時の契約であって、入ってからの働きではありません。持分を持ちたければ、自分で起業するか、持分をもらえる条件で入るか、そのどちらかです。どちらも入り口の話です。
夢と希望を持ってベンチャーへ入ること自体は、悪いことではありません。裁量も、経験も、責任の範囲も、大きな会社では手に入らないものが手に入ります。ただし、金銭の面はそこに含まれません。その夢の中身が「会社が大きくなれば自分の取り分も増える」であるなら、連動していないものに期待していることになります。オーナーシップを持て、と言われたときに確かめるべきは、その言葉の熱量ではありません。比喩ではない実際の持分が自分にどれだけあるのか。それがないなら、増えた利益を賃金へ接続するルールがこの会社にあるのか。問いはそこに絞られます。
会社の成長と従業員の取り分を扱うシリーズの一本目です。では、資金調達で会社に多額の現金が入ったとき、その現金は誰のものになるのか。次回はその局面を見ます。
参考
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- M&Aは価値を生むのか――所有権ゲームと経世済民のあいだ(請求権の移転と経世済民の関係について)
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