全社一丸で上場して、資産家になるのは誰か――上場益は貢献ではなく持株数で分かれる
上場の日、誰の口座に何が入るのか
上場の日、取引所で鐘を鳴らします。社内には花が届き、記念写真が撮られ、これまでの苦労が語られます。全社で達成した、という言葉に嘘はありません。監査対応で残業を重ねたのも、規程を書き直したのも、実際に社員です。
ただ、その日に何が起きたかは、人によってまるで違います。
これまで見てきたとおり、所有者の取り分は会社全体に連動し、従業員の取り分は自分一人の労働契約にしか連動しません。上場は、この違いが金額として最も大きく表に出る日です。上場とは、会社が資金を集め、持分を換金できるようにする手続きであって、それまでの労働を精算する手続きではないからです。
会社に入るお金と、株主に入るお金は何が違うのか
上場のときには、二つの流れが同時に走ります。
一つが公募です。会社が新しく株を発行して、投資家に買ってもらいます。代金は会社に入ります。ここで誤解しやすいのは、会社があらかじめ自社の株を持っている必要はない、という点です。会社は株を新しく作って売ります。発行済みの株式数が増えるぶん既存株主の比率は薄まりますが、その代わりに会社の口座へ現金が入ります。前回のプライマリー調達と同じことが、上場という場面で行われているだけです。
もう一つが売出しです。既存の株主が、すでに持っている株を投資家に売ります。代金は売った株主の口座に入り、会社には1円も入りません。前回のセカンダリーにあたります。日本の新規上場ではこの二つを組み合わせるのが一般的で、どちらがいくらなのかは目論見書に書かれています。
上場した翌日からの売買は、また別の話です。市場で株が売り買いされても、動いているのは投資家どうしのお金です。会社には入りません。株価が3倍になっても、会社の預金が3倍になるわけではないということです。会社が上場後にあらためて新株を発行すれば、そのときは会社にお金が入りますし、株価が高いほど同じ株数で多く集められます。株価と会社の現金の関係は、第5回で扱います。
上場でいちばん大きく変わるのは、金額よりも売れる相手が見つかるようになったことのほうです。未上場のときは、株を売りたくても買い手を自分で探す必要がありました。持ち株の譲渡に会社の承認が要る定めになっていることも多く、そもそも自由に売れません。上場すれば市場に買い手がいます。創業者や投資家にとって、上場は持分が現金に変えられる状態になる日です。
その日にすぐ全部売れるわけではありません。既存株主には一定期間売却を制限するロックアップが付くのが通例で、従業員のストックオプションも、行使して株にして、制限が明けてから売ることになります。時期はずれますが、換金できる状態そのものは上場の日に生まれます。
上場益は、何に応じて分かれるのか
上場という達成は全社のものですが、そこから生じる取り分は、貢献度ではなく持株数に比例して分かれます。厳密にいえば、その日に配られるのは現金ではなく、換金できるようになった持分の価値です。それでも、比率を決めるのは持株数です。
数字を置いて確かめます。仮に、上場時点でストックオプションのために用意された枠が発行済み株式の10%、社員が200人だとします。単純に割れば、社員一人あたりの平均は0.05%です。実際には均等ではなく、初期に入った人ほど多く持ちます。初期社員が全社平均の10倍を持っていたとしても0.5%です。
一方、創業者は希薄化を重ねてもなお、数十パーセントの単位で持っていることがあります。仮に30%とすれば、初期社員との差は60倍、全社平均との差は600倍になります。
この差は、働きの差ではありません。上場前の1年間、創業者と初期社員が同じ時間だけ働いていたとしても、この比率は動きません。差を生んでいるのは、いつ入ったかと、そのときどういう契約を結んだかです。
「全社一丸」は労働の話です。上場益の配分は持分の話です。同じ日に起きますが、別の帳簿で計算されています。
上場準備のきつさは、創業期のきつさと同じものか
創業者が大きな持分を持つこと自体は、第1回で認めたとおりです。資金と労働の両方を差し出し、失敗すれば何も残らない可能性を引き受けたことへの対価には、合理性があります。
上場準備の期間も、たしかにきつい時期です。監査法人への対応、内部統制の整備、規程の作成、予実管理の精度上げ、証券会社の審査への回答。誰かが引き受けなければ上場できません。
ただ、このきつさは創業期のそれとは種類が違います。上場準備は、敷かれたレールを整える作業です。やることは決まっていて、量が多い。長時間働けば前に進みます。創業期はそうではありません。レールを敷く場所を決めるところから始まり、進んでも何も出ない可能性が残り続けます。軌道に乗るまでのその時期が、いちばんきついはずです。
ですから「上場準備では創業者並みのコミットメントが求められる」という言い方は、正確ではありません。求められているのは長時間労働です。それはそれで重いのですが、賭けに出ることとは別のものです。
では、非対称はどこにあるのか。もっとも釣り合っていないのは、上場直前に頑張った人ではありません。創業初期から居続けて、会社が大きくなる過程に貢献し続けた従業員です。年数分の貢献が積み上がっているのに、受け取りは0.05%の側に置かれたままだからです。
もっとも、この人も自分のお金を出したわけではありません。その間ずっと給与を受け取ってもいます。失敗しても損失は限定されている、下振れを負っていないなら上振れも取れなくて当然だ、という反論はここから出てきます。
この反論は、大筋で当たっています。会社が畳まれても、従業員は出資したお金を失うわけではありません。受け取りに差が付くこと自体は、おかしくないということです。
問題は、差が付くかどうかではなく、差の大きさのほうです。下振れを負っていないことは、上振れの取り分が小さくなる理由にはなります。ただ、600倍小さくなる理由までは説明しません。倍率を決めているのはリスクの差ではなく、持株数だからです。
上場準備の高揚は、この食い違いを見えにくくします。全社で目指す目標があるあいだ、配分の話は後回しになるからです。
追加で働いた分は、いくらになって返ってくるのか
上場前の追加労働を引き受けるかどうかを、従業員の側から計算してみます。
追加で働いた分の対価は、労働時間に対して払われます。時間外手当が付く立場ならその分は入りますが、上場という成果そのものには連動しません。成果に連動しうるのは、持っているストックオプションの価値だけです。
では、それはいくらか。上場の確率が上がる分だけ、期待値は上がります。乗っている元の数字が0.05%です。追加労働によって上場の確率が10ポイント上がったとしても、増えるのは時価総額の0.005%にあたる額にすぎません。ストックオプションを持っていない社員なら、この項目自体が存在せず、増分はゼロです。
だとすれば、追加労働を断ることは、熱意が足りないからではありません。増分に見合う量を超えて労働を足さない、というだけの判断です。
会社がこれを熱意の問題として語るとき、起きていることははっきりしています。増分がほとんどない労働を、言葉で埋めているということです。「人生で一度の経験」も「いましかできない」も、報酬の代わりに置かれています。
従業員が受け取っているものは、結局何なのか
金銭から目を移すと、受け取っているものはあります。ただ、上場企業の社員という肩書そのものには、あまり期待しないほうがよいはずです。それが効くのは書類選考や、能力を直接見ない審査までです。面談で中身を見る相手には、どこにいたかではなく何をやったかを問われます。
値が付くのは、肩書ではなく中身のほうです。組織が数人から数百人になる過程を内側から見たこと、制度が何もない状態から作った経験、上場準備で監査や内部統制を一度通したこと。どれも大きな会社では手に入りませんし、面談で話せる中身になります。
正直に書けば、上場を目指すベンチャーに従業員として入る場合、主な報酬はこちらです。0.05%の持分ではありません。
これは悪い取引だという意味ではありません。経験を取りにいくという選択は、それ自体まっとうです。大きな会社でしか積めない経験もあれば、ベンチャーでしか積めない経験もある。どちらを取るかを選んでいるだけで、片方が正解というものでもありません。
問題が起きるのは、金銭的なリターンを目的にしているのに、その金額を一度も計算していない場合です。
そして、その経験も持分ではありません。労働市場を経由して返ってくるもので、上場益に比例するわけでもない。この形は前回までと変わりません。上場という出来事の意味も、両者でまるで別です。所有者にとっては、持分を現金に変えられるようにする日です。従業員にとっては、勤め先の属性が変わる日です。翌日も同じ席で同じ仕事をします。増えたのは、四半期ごとの開示に追われる時間くらいです。
上場の日に、何を数えるのか
祝賀の場を離れたところで、自分の分を計算できます。
仮に時価総額100億円で上場したとします。先ほどの全社平均である0.05%なら500万円です。ここから行使価格の払い込みを引き、税を引きます。金額として悪くはありませんが、数年分の上乗せした労働の対価として釣り合うかどうかは、人によって答えが違うはずです。同じ計算で、創業者の30%は30億円になります。
釣り合っていないとしても、会社が途中で約束を破ったわけではありません。第1回で書いたとおり、どちら側にいるかを決めるのは入社時の契約です。上場の日は、その契約に書かれていたことが、初めて金額になって表示される日にすぎません。
ですから、この記事は上場を目指すベンチャーに行くなという話ではありません。経験を取りにいくと分かったうえで選ぶなら、筋の通った判断です。避けたいのは、金銭的なリターンを期待しながら、その金額を一度も計算しないまま数年を使ってしまうことのほうです。
もっとも、いま出した500万円は、まだ簡単なほうの計算です。持株数に株価を掛けた額が、そのまま手に入るわけではありません。いつ辞めたか、いつ行使したか、どの制度で付与されたかによって、答えは大きく変わります。次回は、その計算そのものを見ます。
参考
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