会社にお金が入っても、あなたの給料は増えない――資金調達で膨らむ財布はどれか
「10億円調達」のニュースで、あなたの財布はどうなるのか
社内チャットに、資金調達の発表が流れます。シリーズBで10億円。プレスリリースが出て、祝いのスタンプが並びます。
翌月の給与明細は、先月と同じです。
前回、所有者の取り分は会社全体に連動し、従業員の取り分は自分一人の労働契約にしか連動しないと書きました。資金調達は、その違いが分かりやすく出る場面です。会社の口座に10億円が入っても、あなたと会社の契約は1文字も変わっていません。
ただ、それだけでは説明が足りません。「会社に10億円入った」という一文は、性質の違うものをまとめて1つに見せています。分けて数えるべきものが4つあります。
- 新株の発行によって、会社に入るお金
- 既存株主が持ち株を売って、株主個人に入るお金
- 調達時の評価額によって増減する、既存株主の持分の価値
- 給与、賞与、ストックオプションとして、従業員へ配られるお金
どれも「会社にお金が集まった」の一言に含まれてしまいますが、お金の行き先も、そもそも現金が動くのかどうかも違います。
会社に入ったお金は、誰のものになるのか
新株を発行して投資家に買ってもらうと、その代金は会社に入ります。プライマリーの調達と呼ばれるものです。
入るのは会社です。株主の口座でも、創業者の財布でもありません。会社の残高は増えますが、その時点で誰かの銀行口座に現金が増えたわけではありません。
このお金には使い道の制約も付いています。投資家は事業計画とそこに書かれた使途を見て出資しています。採用に何人、開発に何割、広告にいくら。計画から外れた使い方をすれば、次の調達で説明がつかなくなります。会社のお金であって、社長が自由にできるお金ではありません。
そして会社は、お金を受け取った見返りに株を渡しています。発行済みの株式が増えるので、既存株主の持分比率は下がります。希薄化です。創業者の持ち株比率も、従業員のストックオプションが将来占める割合も、調達のたびに薄まります。
現金を手にするのは誰か
既存の株主が、自分の持ち株を投資家へ売ることもあります。セカンダリーと呼ばれる取引です。
このとき動いたお金は、会社を素通りします。売った株主の口座に入り、会社には1円も入りません。創業者が持ち株の一部を売って生活を安定させる、初期の投資家が持ち分を新しい投資家へ引き継ぐ。どちらも実際にある話です。
一つ目と二つ目は、同じ「株を売ってお金を得た」でも中身がまるで違います。会社に入ったお金には使途の縛りがあり、事業に使われます。創業者が持ち株を売って得たお金は、創業者個人のものです。何に使おうと自由ですし、会社の事業には1円も回りません。受け取る主体が会社なのか個人なのかで、そのお金がその後どう働くかが変わります。
従業員がこの形で現金を手にすることは、多くありません。ストックオプションは行使するまで株ではなく、行使には現金が要り、未上場では売る相手を自分で見つけることもできないからです。
評価額が上がると、誰の資産が増えるのか
三つ目だけは、現金の入る財布ではありません。調達のときには会社全体の値段が決まり、この評価額をもとに、投資家がいくら出していくらの株を取るかが決まります。
評価額は、会社と投資家が交渉して合意した値です。多数の買い手が競って付けた値ではありません。次の調達で下がることもあれば、上場のときに大きく削られることもあります。「時価総額100億円のスタートアップ」という見出しは、100億円の現金がどこかにあるという意味ではありません。
それでも、この値が上がれば既存株主の持分の価値は上がります。前回書いたとおり、株を一株も売らずに資産が増減するのが持分の性質です。創業者の資産は、調達のたびに動きます。
従業員の給与は、この値に連動していません。評価額が3倍になっても、給与テーブルは同じものが使われます。
従業員の財布は、なぜ自動では膨らまないのか
最後が、給与、賞与、ストックオプションという従業員の取り分です。
調達したお金は人を雇う原資になります。ここだけを見れば、従業員に回っているように見えます。ただ、そのお金が支えるのは主に二つで、どちらも既存社員の昇給ではありません。一つは、いまの人数で事業を続けるための時間です。資金が尽きるまでの猶予が延びれば、いまの給与が払われ続けます。もう一つが、これから採る人の人件費です。投資家に示した計画に書かれているのは、何人採用して売上をいくらにするかであって、既存社員の給与を何割上げるかではありません。
理由は前回のモデルで説明がつきます。利益は、従業員数 N と一人あたりの粗利(r − c)の掛け算でした。人を増やせば N が増えて総額が伸びます。既存社員の給与を上げると c が増えて、掛け算の結果は逆に縮みます。投資家へ成長を示す道具として、採用と昇給は同じ働きをしません。
資金調達は、N を増やすための燃料です。持分を持つ側の取り分が乗っている掛け算の、その N のほうを太らせるお金だと言えます。
調達は、従業員の持分にとっても中立ではありません。投資家が引き受けるのは多くの場合、普通株ではなく優先株です。優先株には清算優先権が付き、会社が売却されたときに投資家が先に回収する取り決めが置かれます。残りを、創業者と、ストックオプションを行使した従業員が分けます。そして調達を重ねるたびに、優先して回収される金額も積み上がります。評価額が上がっても、その裏で先に抜かれる金額が増えていれば、普通株の側の取り分が評価額と同じ比率で増えるとは限りません。手取りがどう決まるかは、第4回で扱います。
資金調達は、従業員に何ももたらさないのか
反論として最初に出てくるのは、お金がなければ給与そのものが払えない、というものです。資金が尽きれば、給与の遅配も、事業の縮小も、解雇も現実になります。会社が生き延びること自体が従業員の利益だ、という言い方はここから来ます。
ただ、この言い方は、誰の利益なのかを取り違えています。
会社が消えれば、持分も消えます。創業者と投資家にとって、存続は自分の資産がゼロになるかどうかの問題です。従業員にとっては、収入源が一つ途切れるという問題です。同じ「倒産は困る」でも、失うものの桁が違います。
しかも存続には、持分を持つ側にだけ開かれた価値があります。会社が続いていれば、次の調達も、方向転換も、数年後の Exit もありえます。挽回の機会があるということです。従業員にとっての「会社が続く」は、いまの給与が来月も振り込まれることであって、それ以上ではありません。
倒産すれば転職します。すぐには決まらないので、無収入の期間はできます。ただ、それは数か月の生活費で埋められる範囲の話です。それでも決まらないのなら、希望条件と自分の市場価値が釣り合っていないということであって、勤め先が生き延びたかどうかとは別の問題です。会社の存続は、まず所有者のための利益です。
採用が進めば、一人が抱えていた仕事が分かれて、労働時間が減ることはあります。ただ、逆に振れることもあります。既存社員は面接と教育に時間を取られますし、人が増えれば調整の手間も増えます。前回の記号でいえば、N が増えると c も膨らむということです。投資家に約束した成長率は目標として現場へ降りてきますし、組織は作り替えられ、報告する指標も増えます。
負荷が下がるかどうかは会社によります。どちらに転んでも、給与テーブルが調達額に自動で連動する仕組みはありません。調達を機に水準を見直す会社はありますが、それは会社が分配を決めたからであって、お金が入ったから自動でそうなったのではありません。
調達のニュースを見たとき、何を確かめるのか
祝いのスタンプを押したあとに、確かめられることが5つあります。
- 誰がお金を出したのか
- そのお金は会社に入ったのか、株主個人に入ったのか
- 何に使うと投資家に説明しているのか
- 自分の報酬は変わるのか。変わるなら、その根拠は何か
- 自分の仕事量と責任は変わるのか
3つ目に書かれたことが実行されれば、5つ目は動きます。採用が進めば面接と教育が増え、開発を急げば納期が締まります。それでも4つ目は動きません。使途に並ぶのは採用と開発と広告であって、既存社員の処遇はそこに入っていないからです。
会社が不誠実だという話ではありません。調達で増えたのは、会社が使える現金と、投資家に約束した成長目標です。給与を決めているのはそのどちらでもなく、労働市場の相場と、社内の等級表と、会社がどれだけ配ると決めたかです。お金が入っても、この三つは自動では動きません。
前回書いたとおり、どちら側にいるかを決めるのは入社時の契約です。調達はその契約に触れないまま、会社だけを大きくします。
次は、その契約の差が最も大きな金額として現れる場面を見ます。全社一丸で目指した上場の日に、誰がいくら受け取るのかという話です。
参考
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