日本はどれだけ豊かになり損ねたのか──ドイツ並み成長の反実仮想をGDPと家計所得で検証する
「日本がドイツ並みに成長していれば」と考えるのは、日本の成長があまりに鈍いからです。この四半世紀、日本は主要先進国の中でも成長率が低い方に沈みました。そのうえで、ドイツも決して高成長の国ではありません。同じく伸び悩んだドイツを引き合いに、「せめてドイツ並みにでも伸びていたら、どれだけ違ったのか」を測ってみます。こうした問いは、実質GDPの伸びの差を「失われた所得」として一つの大きな金額に置き換える形で語られがちです。
同じ問いでも、総額のGDP、人口で割った一人当たりGDP、家計が実際に手にする可処分所得のどれで測るか、比較の起点をいつに置くかで、答えは大きく変わります。ドイツを基準にした「失われた所得」は、単一の確定値にはなりません。それでも、暮らしに近い家計所得で見ると、日本は伸びた分を家計に届けられなかったという弱さが、起点を変えても残ります。経世済民の観点で問うべきは、GDPが他国並みに伸びたかどうかより、その果実が人々の生活になったかどうかです。
「豊かになり損ねた」の測り方
「豊かさ」を一つの数字で代表させると、測り方の選択がそのまま結論になります。ここでは三つの物差しを使い分けます。実質GDPの総額、一人当たりの実質GDP、そして家計の実質可処分所得です。
総額のGDPは国家としての経済力を映します。一人当たりGDPは、人口の増減を取り除いて一人分の生産がどれだけ増えたかを見ます。どちらが正しいというより、何を問うかで選ぶものです。総額が伸びなければ国としての力は強くならず、一人当たりが伸びなければ生産性は上がっていません。どちらにも意味があります。この記事は国どうしの成長率を人口規模に邪魔されずに並べたいので、主に一人当たりを使いますが、それは総額で見た国力の停滞を軽んじてよいという意味ではありません。
そのうえで、生産された付加価値がそのまま家計の懐に入るわけではない点も押さえておきます。企業に残る分、税・社会保険料として抜ける分があり、家計が実際に手にする所得はさらに別に測る必要があります。経世済民が最終的に見たいのは、この三つ目です。
なお、この記事の反実仮想は「日本がドイツと同じ率で成長していたら」という機械的なシナリオです。日本の起点の値にドイツの累積成長率を掛けて仮想の系列をつくり、実績との差を取ります。特定の政策があれば確実に得られたはずの金額ではありません。
人口で目減りする総額GDP
総額の実質GDPだけを日独で比べると、日本の停滞は実際より大きく見えます。この期間、日本の生産年齢人口は減り続け、総人口も2008年をピークに減少に転じました。ドイツは移民の受け入れで人口を保ちました。総額の差には、この人口動態の違いがかなり混ざっています。
もっとも、人口が減って総額が伸びないこと自体が、国家の経済力が相対的に落ちるという現実でもあります。総額の停滞を「人口のせいだから割り引いてよい」と片付けるのは行き過ぎです。ここでは成長の速さを国どうしで比べたいので、以下は人口の影響を除いた一人当たりの実質値を主に使います。総額で見た国力の後退は、それとは別に残る論点です。
一人当たりGDPの差と起点依存
一人当たりの実質GDPで見ると、2000年から2024年で日本は約19.5%、ドイツは約25.4%伸びました※1。ドイツが先に行ったのは確かですが、その差は総額で受ける印象より小さくなります。

この差を「失われた所得」に換算してみます。2000年の日本にドイツの累積成長率を当てると、2024年の反実仮想値は実績を一人当たり約1,881ドル(2015年価格)上回ります。実績に対して約5.0%、日本の自国通貨系列で計算すると一人当たり年およそ23万円(2015年価格)です。決して小さくはありませんが、巨額でもありません。

上の指数グラフと同じ日独の比較を、金額(2015年価格の米ドル)に置き換えたものです。形は同じで、狙いは差が何ドルなのかという規模感を示すことにあります。
問題は、この金額が起点の取り方に強く依存することです。同じ計算を1995年、2005年、2010年、2015年起点でやり直すと、2024年の未達率はそれぞれ約+10.5%、+7.4%、+0.2%、−1.4%と大きく振れます。2010年起点ならほぼ差は消え、2015年起点では日本の方が伸びが高くなります。

起点を一つ選ぶだけで結論が符号ごと変わるのですから、「ドイツ基準で日本は◯◯円失った」という単一の見出し数字は、頑健な事実として扱えません。どの年を起点にしたかで、その数字はいかようにも作れます。
G7の中のドイツと日本
比較対象をドイツだけにするのも、結論を一方向へ引っ張ります。同じ2000年から2024年の一人当たり実質GDP伸び率をG7で並べると、日本の位置がはっきりします。

米国が突出して高く、次いでドイツ、英国が続きます。日本は約19.5%で、フランス(約19.3%)やカナダ(約18.9%)とほぼ横並びです。日本を除くG7の中央値は約20.6%で、日本との差はわずかです。イタリアはさらに低く、約5.8%にとどまります。
ここでフェアに見ておきます。ドイツは統一後の調整を経て製造業の輸出競争力を回復し、ユーロという割安な共通通貨の恩恵も受けました。一人当たりGDPの伸びで中央値より上に来たのは偶然ではありません。しかしそれは、ドイツが日本にとって唯一の「本来の成長経路」であることを意味しません。比較対象を中央値や近い国に替えれば、一人当たりGDPで見た日本の「未達」はかなり縮みます。一人当たりGDPで測る限り、「日本だけが沈んだ」という強い主張は支えきれません。
むしろ目を引くのは、米国だけが約37.5%と別格で、それ以外のG7が2割前後に固まっていることです。ドイツもその中では上位というだけで、高成長の国ではありません。この記事が「ドイツ並みに成長していたら」と問うのは、それが高い目標だからではなく、あえて低く置いたハードルだからです。そのうえで前節のとおり、日本とその低いハードルとの差は、起点しだいで開きも消えもする程度のものでした。
GDPと家計所得の食い違い
物差しを家計の可処分所得に移すと、絵が変わります。一人当たりGDPが約19.5%伸びた日本で、家計が実際に使える純可処分所得(一人当たり実質)は同じ期間に約6.8%しか伸びていません※2。生産された付加価値の伸びが、家計の手取りにはその三分の一ほどしか届いていない計算です。ドイツでは家計の純可処分所得が約20.7%伸び、GDPの伸び(約25.4%)から日本ほど大きくは離れませんでした。

この見方には強い反論があります。純可処分所得には、医療や教育のように政府が現物で提供するサービスが含まれません。日本は公的医療や介護など現物給付が手厚く、家計の手取り額だけを見ると生活水準を過小評価する、という指摘です。これには根拠があるので、現物社会移転を含めた調整可処分所得で測り直します。
すると日本の一人当たりは約15.3%伸びに跳ね上がります。純ベースの約6.8%と比べれば倍以上で、現物給付が実際に暮らしを支えてきたことが数字に出ます。反論には確かな根拠があります。ただし、それでも二つの事実は消えません。第一に、調整後でも日本の家計所得の伸び(約15.3%)は、日本自身の一人当たりGDPの伸び(約19.5%)に届きません。第二に、ドイツは調整可処分所得でも約26.1%伸びており、日独の差は現物給付を勘定に入れても残ります。純ベースで見た日独差(約14ポイント)は、調整後で約11ポイントに縮むものの、消えはしません。
調整可処分所得には、もう一つ解釈上の注意があります。現物給付は、医療や介護を実際に使う人には大きな恩恵ですが、使わない人の手取りが増えるわけではありません。国全体を平均した数字が持ち上がっても、それが誰の暮らしを支えているのかは別の問題です。現物給付を「家計全体の底上げ」とそのまま読み替えてよいかは、それ自体が分配の中身に踏み込む論点で、稿を改めて扱うべきテーマです。
一人当たりGDPの土俵ではぐらついた「日本の弱さ」が、家計所得の土俵では、起点をずらしても比較対象を選び直しても、より頑健に残ります。豊かになり損ねたと言えるとすれば、それはGDPが伸びなかったからというより、伸びた分を家計に回せなかったからです。
GDPが家計に届くまでの経路
では、生産の伸びと家計の手取りの伸びの間にできた差は、どこへ行ったのでしょうか。GDPが家計所得になるまでには、いくつかの関門があります。付加価値のうち賃金に回る割合(労働分配率)、企業が内部にため込む貯蓄、税・社会保険料として抜ける分、そして輸入価格の上昇で海外へ逃げる交易条件の悪化です。
この期間の日本では、企業部門が一貫して資金余剰の側にありました。稼いだ利益を賃金や国内投資に回さず、内部にため込む姿勢が続いたことは、部門別の資金過不足からも確認できます(部門別収支30年史)。加えて、消費税率の引き上げと社会保険料負担の増加は、家計の手取りを押し下げる方向に働きました。円安局面での輸入物価上昇も、実質の購買力を海外へ移します。
ただし、各要因の寄与を数値で厳密に分解することは、この記事ではしません。労働分配率・企業貯蓄・税負担・交易条件のどれがどれだけ効いたかは、反実仮想とは別の因果分析を必要とし、稿を改めて検証すべき論点です。別稿に送るのはこの定量的な寄与度であって、上に挙げた方向の見当まで手放すわけではありません。
反実仮想で言えること・言えないこと
最後に、この計算から言えることと言えないことを分けておきます。
言えるのは、次の三つです。一人当たりGDPで測ったドイツとの差は起点に敏感で、単一の「失われた所得」額は頑健でないこと。G7に並べると日本は中央値の近くにあり、一人当たりGDPで「日本だけが沈んだ」とは言いにくいこと。そして家計の可処分所得で見ると、現物給付を含めてもなお、その伸びが自国の一人当たりGDPにもドイツの家計にも届かないこと。
言えないことも同じだけ重要です。反実仮想の差は、特定の政策をとっていれば確実に得られた金額ではありません。各年の所得フローの差を足し上げた数字は、利息のついた資産額でも厚生の損失でもありません。2015年価格の実質ドルは時系列比較のための単位で、今日の為替で使える金額ではありません。一人当たりの平均は分配を示さず、同じ平均の裏で格差が広がっている可能性も残ります。そして成長率の差を、丸ごと政策の巧拙に帰することもできません。人口、労働供給、輸出構造、エネルギー、賃金制度など、別に検証すべき要因が並んでいます。
MMTの立場から見れば、注目すべきは「他国並みにGDPを伸ばせたか」という規模の競争ではありません。自国通貨を持つ日本にとって、真の制約は名目の金額ではなく供給能力であり、政策が問われるのは、育てた供給能力の果実を家計の実質所得に変えられたかどうかです。ドイツとの差額を一つの数字で確定しようとする議論は、この肝心の問いを素通りします。
まとめ
「日本がドイツ並みに成長していれば」という問いは、測り方しだいで答えが変わります。一人当たりGDPで見れば、ドイツとの差は起点に振り回され、G7の中では日本は中央値の近くにいます。「失われた所得」を一つの巨大な数字で確定することはできません。
それでも、家計の可処分所得という暮らしに近い物差しに移すと、日本の弱さははっきりします。生産は一定伸びたのに、その伸びは家計の手取りに十分回らず、現物給付を含めて測り直してもこの傾向は変わりませんでした。だとすれば、次に問うべきはドイツとの差額そのものではなく、伸びた生産を家計の所得に変える回路をどう作り直すかです。
参考
関連記事
- 部門別収支30年史──政府赤字の裏側で誰が黒字だったのか(企業部門の資金余剰について)
外部資料
- ※1 World Bank, GDP per capita (constant 2015 US$), NY.GDP.PCAP.KD(日本・ドイツ)
- ※2 OECD, Household disposable income / National Accounts at a Glance, Chapter 5: Households

